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宗教者にも不可欠の科学技術リテラシー

2013年10月8日付 中外日報(社説)

プロメテウスは、ゼウスに逆らって、天界の火を盗んで人類に与えたギリシャ神話の神である。哲学者のヤスパースは現代を第二のプロメテウスの時代と形容した。原子力はさしずめ現代におけるプロメテウスの火の最たるものだ。

しかし、プロメテウスの火は原子力だけではない。あらゆる科学技術は、われわれの生活に大きな可能性と同時に大きな危険をもたらすという意味で、いずれもプロメテウスの火なのである。

科学技術は現在、われわれにとっていわば有無を言わせぬ選択肢のようになっている。今でこそ、原発は放射能漏れ事故のゆえに、各方面から厳しく指弾されているが、かつて多くの人々はその安全性に信頼を寄せていた。まさに官民挙げて刷り込まれた、文字通りの「安全神話」だった。

最先端の科学技術は、その分野の専門領域でさえ不確実な要素を多分に含んでいる。放射能の危険性について専門家の間でも意見が分かれている。専門家でもないわれわれ一般市民は、どのように判断したらよいのだろうか。そんなときに欠かせないのが、市民としての科学技術リテラシー(適切に理解・評価する能力)である。

近年、一般市民が社会の責任ある一員として、科学技術をいかに受け入れるかを決めるべきだという考え方が徐々に広まってきている。科学が提起した問題でありながら科学だけでは解決できない領域のことを、物理学者のワインバーグは「トランス・サイエンス」と呼んだ。最近ではこの発想の延長上に、「科学技術社会論」という新しい分野が現れた。これは、科学研究や技術革新と、これらを受け入れる社会との間に立って、両者を橋渡しする見方や考え方、方法論を探るための学問である。

科学技術に対し宗教は何が言えるのか。また、宗教者の発言は権威あるものとなり得るだろうか。そのための試金石は、宗教者もまた一般市民としての科学技術リテラシーをきちんと押さえて発言しているかどうかにかかっている。

科学技術は本来、われわれに多様な議論の広場を提供してくれるものだ。近頃は専門の研究者が人々の中に歩み寄り、喫茶店などにおいてこの話題について話し合う「サイエンスカフェ」のような試みも行われている。さまざまな立場の市民が学び合う公共空間の場である。議論を通じて宗教的価値観もより一層、一般の人々に届く言葉として練り上げていくことができる。豊かな公共性を形成するためにも、このような試みが各方面でなされることを期待したい。