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多元的価値観を壊す英語帝国主義の弊害

2013年9月7日付 中外日報(社説)

文部科学省は来春から、グローバル・リーダーを育成する先進的な高校「スーパーグローバルハイスクール」を推進することに決め、初年度は100校を指定した。この高校では、英語によるコミュニケーション能力を養いつつ、世界で活躍する人材を育成するという。主な力点は英語の運用力を身に付けさせることにある。

わが国では官民挙げて英語教育に邁進している。小学校からの英語教育が定着し、大学では英語による講義や留学がセールスポイントになり、企業でも英語を社内公用語にという動きがある。確かに英語は事実上のグローバル言語である。英語を使える人材はグローバル市場で通用価値もある。これは日本だけでなく、世界中で見られる現象である。

非英語圏の人々がこうして大量の時間と手間をかけて英語を勉強している一方で、アメリカやイギリスなどは英語ネーティブの位置にあぐらをかくような現象が起こっている。なぜなら、彼らにとって母国語が世界語なのだから、わざわざ他の外国語を勉強する必要もなく、英語が通じて当たり前とばかりに海外旅行やビジネスをしたりできるのである。その上、暗々のうちに自国の発想法や文化スタイルをも世界標準として通用させようということになる。これが英語帝国主義と呼ばれるものだ。

しかし、世界の圧倒的多数は非英語圏である。英語で拾われない貴重な情報がそれぞれの言語で飛び交っている。国際コミュニケーションを英語だけで済まさず、できる限りさまざまな言語への目配りが必要である。非英語圏の国や地域に行けば、現地の言語(方言も含む)を尊重し、自らそこに学ぶという姿勢があってこそ、初めて真の異文化理解や交流も生まれてくる。そうした努力が世界における多元的価値観を保証する。

わが国を振り返ってみれば、日本語には日本的な価値観が込められている。日本語と共に日本的な価値観をも表明することができる。そして、その価値観の根本に見いだされるのが実は日本的な宗教性なのである。

これからのグローバル社会の時代に対応するために、もっとこの側面に着目して、日本の持つ豊かな文化やその根の部分にある宗教的価値観を、日本語そのものを通じて発信する方途を検討し、実践していくことも大切ではないだろうか。こうした営為こそ、世界における多元的価値観の共存共栄を促す、わが国ならではのソフトパワーの発揮にもつながると考えられるからである。