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儒教徒の排仏論と僧侶の剃髪の意味

2013年9月5日付 中外日報(社説)

仏教を排斥する排仏論では、沙門の剃髪の習俗がしばしば攻撃目標となった。例えば4世紀東晋の孫綽の「喩道論」(『弘明集』巻3)に次のような議論が引用されている。儒教の聖人である周公と孔子の教えでは「孝」の徳がとりわけ大切なものとされているにもかかわらず、沙門が「鬚髪を刓剔し(ひげと毛髪を剃り落とし)、其の天貌(生来の容貌)を残っている」のは何ともひどいことだ。

それというのも、『論語』と並んで儒教の最も基本的な経典とされる『孝経』の冒頭に、「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり(身体や髪の毛、皮膚は父母からの授かりもの、それを傷つけまいとするのが孝の第一歩)」とあるからであり、沙門が剃髪するのは髪の毛を傷つける行為にほかならず、「孝」の徳をないがしろにしているというわけである。

2月23日の本欄「中国では散逸したが日本には残った古書」に述べたように、『孝経』には今文と古文の2種類のテキストとそれぞれに対する注釈が存在するが、わが国に遺存した古文『孝経』を刊行した太宰春台は、その序において、古文『孝経』の孔安国の注釈では「敢えて毀傷せざる」云々の「毀傷」の語が「刑傷」と置き換えられていることに注目した上、次のように敷衍している。

孔安国が「毀傷」の語を「刑傷」と置き換えているからには、「毀傷」とはただ漠然と肉体を傷つけることを意味するのではない。それは古代中国で行われた肉刑、すなわち肉体を傷つける劓(鼻そぎ)、刵(耳そぎ)、宮(生殖器割除)、剕(足斬り)、髠(毛髪剃除)、墨(入れ墨)等の刑罰を受けることなのであり、劓、刵ならびに宮は身を、剕は体を、髠は髪を、墨は膚を傷つけることに当たるのである。つまり『孝経』は肉刑を受けるような罪を犯してはならぬと戒めているのであって、もしそうでないならば、忠臣が君主の危難に際して「水火兵刃」をものともせず、あるいはまた節婦が「髪を絶ち鼻を截る」、そのようなけなげな行為も全て不孝ということになるではないか。節婦云々は、夫の死後、実家の者が再婚させるべく連れ戻そうとするのを髪の毛を切り鼻をそぎ落として節義を貫いた女性たちのことをいうのである。

孔安国の注釈を敷衍する太宰春台の解釈に従うならば、前記の排仏論は根拠を失うであろう。沙門が剃髪するのは髠刑に処されるような罪を犯したことによるものではないからである。