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福島で懲りないか 消えぬ不信と怒り

2013年8月22日付 中外日報(社説)

高速道路で先般、運転手が急病で倒れて観光バスが暴走し、乗り合わせた男女の客たちがとっさにハンドルなどを操作して危うく全員が難を逃れたことが、「英雄的」とたたえられた。だが同じ暴走でも、原発が設備の欠陥によって甚大な被害を与える重大事故を起こした際、現場で対処に当たった発電所のトップが亡くなると、「日本の危機を救った」などと英雄視するのはいかがなものか。

確かに危険から逃げずに仕事をしたのは立派だが、そもそもそんな危険な原発を批判があるにもかかわらず長年運転してきた組織の要職としての責任はどうか。そして事故は終結さえしていない。

死者を批判しているのではなく、死者の功績の陰に隠れて姑息に情報操作をしたり、汚染水を垂れ流し続けて環境を破壊し、なお原発を推進し、輸出までしようという電力会社や政府・与党関係者の厚顔無恥を言っているのだ。

今回の事故を下敷きにした園子温監督の劇場映画が、メディアでも大きな評判を呼んでいる。原発が大地震と津波をきっかけに事故を起こして爆発し、膨大な数の人々が故郷を追われる。主人公の2組の家族も、全員が苦難のどん底に突き落とされる。

物語では「福島の時と同じだ!」と、実際の事故は過去の事実として前提に扱われているが、警戒区域の機械的線引きによる地域の分断、家族崩壊、不安で遠方に逃げざるを得なかった人とやむを得ず地元に残った人との溝、といったことは現実と同じ。生活破壊、差別と風評被害、そして飼っている牛を処分させられた末に自殺する酪農家の姿なども、現実のニュースを見ているようだ。

監督は構想段階で読み込んだ多数の事故関連資料などの知識を脇に置き、福島の現地で人々から聞いた話を中心にして脚本を書いたという。津波で壊滅した被災地やゴーストタウンと化した汚染地域の映像。一家離散に「国も県も町も信用できねえ」「原発のちくしょうめ」という台詞には、胸の震えるような怒りが伝わってくる。

「福島で懲りないのか!」という明白なメッセージが、ラストの悲惨な展開に続いて画面に浮かぶタイトル「希望の国」に込められている。シニカルを超え、この国の現状への痛烈な批判だ。それを超える未来の在り方だ。震災後の芸術の一つの姿勢を示した、血の叫びのようなこの重い作品を、今なお避難生活を強いられる人々の苦難の姿を、都会の空調の効いたオフィスにいる原発・政府関係者は平気で観られるのだろうか。