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「ワイマール憲法」とナチスドイツの台頭

2013年8月8日付 中外日報(社説)

参院選が終わり、大局的には予想された通りの結果となった。国民の多数は憲法や原発より景気回復に関心を寄せたようである。

ところで20世紀の初めにこんなことがあった。

第1次世界大戦末期、ドイツでは社会主義革命が起こり、敗戦の翌年、社会主義的政党が中心となって、それまでの君主主義的ないわゆるビスマルク憲法を改めてワイマール憲法を制定した(1919年)。

これは帝政に終止符を打つもので、国民主権を明記し、全ての成年男女に選挙権を与え、労働者の権利を保障し、立法権は国民が選出した議会に帰属すること、大統領は国民の直接選挙によって選ばれることなどを定めた、当時は最も民主的といわれた憲法である。さて敗戦後のドイツは莫大な賠償金、激しいインフレと不況に苦しんでいた。一時的に経済は好転し、賠償も軽減されたのだが、小党分立のため政治が十分に機能せず、その間に重工業と金融資本(軍・官・産)が結び付いて政治上の実力を掌握し、ドイツは急速に右傾化してゆくのである。

このとき台頭したのがナチであった。支持基盤を中間層に求め、過激な国粋主義政策を掲げて政権を取る(1933年)と、軍備拡張と軍需産業の振興によって失業者を減らし、国民生活を安定させ、経済の立て直しに一応の成功を収めて国民の熱狂的な人気を獲得した。

同年には「民族および国家の困難克服のための法律」が制定されナチ政府の立法権と一党独裁が成立した。こうして14年間続いたワイマール憲法は基本法の地位を失った。さらにヒトラーは総統兼宰相となり、独裁権を獲得したが、その後のことはよく知られている通りである。ドイツはまずは第1次世界大戦で失った領地を回復し、さらには西欧にドイツ中心の新秩序を樹立しようとして第2次世界大戦に突入したのである。

われわれはドイツのような文化的水準の高い国がどうしてナチに傾倒したのかしばしば不思議に思う。しかし第1次世界大戦で敗れた後の経済的苦境の中で、ドイツ国民はまず生活の安定と景気の回復を望み、ドイツ国民の誇りを回復し「国民経済」の立て直しに成功した政党を選んだという事情があった。

前世紀前半のドイツの歴史が現在のわが国で繰り返されるなどとは思えないし、思いたくもないが、かつてこのような例があったことは覚えておいてよいのではあるまいか。