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想像力を欠く子供ら 挨拶代わりに「死ね」

2013年8月6日付 中外日報(社説)

名古屋市の公立中学校に通う男子生徒が7月10日、「いろんな人から死ねと言われた」などと記したノートを残して自宅近くの高層マンションから飛び降り自殺した。市教育委員会が全校生徒を対象に行ったアンケート調査で、この男子生徒は同級生から「死ね」「自殺してみろ」などの言葉を掛けられていたことが明らかになり、市教委は「『死ね』などの言葉が自殺の原因になった可能性は高い」とした。

また、自殺をあおるような発言をしたとされる担任の教諭は、釈明会見で、いじめの認識は無かったとし、「今の10代の子どもたちは『死ね』という言葉をあいさつのように交わす」などと話した。担任は「軽い気持ちで使ってはいけないと指導していた」というが、「死ね」という言葉は、たとえどのような状況や気持ちであろうと、人に対しては、決して使ってはいけない言葉である。

相手を一言で一刀両断にし、その存在すらも全否定する凶器、それが「死ね」という言葉だ。新国劇の創設者で舞台に激しいチャンバラを持ち込んだ沢田正二郎さんは座員に「切り捨てられる相手にも親兄弟がいると思って切れ」と諭したという。

その子にも自分と同じように一生懸命に産み育ててくれた親がいる、自分のことを大切に思ってくれている兄弟や家族らがいる。そのことに少しでも思いが及べば、「死ね」などという言葉を口にすることはできないはずだ。

次々と目の前にハードルを設定され、それをクリアすることに心身をすり減らす日々の連続という今の学校教育の現場で、教師も生徒・児童も、ほんの少しの想像力を働かす余裕さえも奪われてしまっているのではないだろうか。

宗教学者の釋徹宗・相愛大教授は「現代社会はどんどん時間を短くする方向に進んでいる。人は少しでも待たされるとすぐにイライラしだす。大人がそんな調子だと子どもも同じ感覚になる。すごく凝縮された時間の中で生きている子どもたちは、ちょっとしたことで極端に針が振れてしまう」と言う。

子どもたちの時間の感覚を伸ばして、いのちのつながりに思いを致させる。それが今後の教育の重要なテーマの一つである。

「死ね」という言葉をあいさつ代わりに交わす子どもたちへ、現実世界とは違った時間感覚を持つ宗教はどのようなメッセージを届けることができるのか。そのことを、この国の将来のため、真剣に考えるべきではないか。