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ブラック企業から若者たちを守ろう

2013年6月13日付 中外日報(社説)

ブラック企業とは、違法あるいはそれに近い労働条件で若者を働かせる企業のことである。新入社員をひたすら酷使し、業績が落ちると執拗なハラスメントで退職に追い込むケースや、「店長」とは名ばかりで、その実態は過労死寸前まで激務をさせているなど、数多くの実例が報告されている。

一握りの会社トップが利益を独占し、社員には理不尽な待遇や給与で働かせることに対する、若者からの強い告発と怒りを込めた表現が「ブラック企業」なのだ。そうした会社は、前途有為な若者を使いつぶすことで、本来自らの経営努力で引き受けるべきコストを社会に転嫁し、結果的に国や国民を疲弊させているのである。

最近、よく知られた大手居酒屋チェーン店や衣料品販売店の名前までもブラック企業として取り沙汰されている。しかし、問題はどの企業がブラック企業かということではない。営利組織として過剰に利益追求を行うあまり、従業員やその家族の幸せを犠牲にしてもよいことになれば、どの企業もブラック企業になり得るのである。

同じことが、実は信者を搾取する「カルト」宗教にも当てはまる。どの宗教が「カルト」なのかということではなく、人間の組織である以上、どの宗教も「カルト」になり得るのである。その意味でブラック企業は、宗教界にとって「他山の石」でもある。

顧客を獲得するようせき立てられ、心身共に疲れ切った営業マンが宗教に救いを求めた。ところが、その宗教では、救われるためには信者を増やさなければならないと説かれ、彼は今度は信者の獲得に駆り出される。そのような漫画を読んだことがある。

組織と人間というのは、いわば永遠のテーマである。しかし、営利・非営利にかかわらず、どの組織であっても、それが目指すのは関係者全ての幸せであろう。まして宗教組織は、人々の幸せを祈り、救済に尽力して、世界の不幸を少しでもなくすことが、その社会的役割であり使命のはずだ。

そこまで考えると、ブラック企業の問題をただ単に「他山の石」として自己反省に努めるばかりが能ではないことにも気が付かされるだろう。むしろ、宗教者は一歩進んで、ブラック企業から未来ある若者を守るよう、独自に取り組んでいってもよいのではないか。例えば、過酷な労働環境の中で苦しみ、使い捨てにされる若者を受け入れ、宗教施設をシェルター的に活用するなどの積極的支援も可能だ。宗教にはそうした社会的資源もあるのだから。