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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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宗教者の行いこそが若者の考えを変える

2013年6月11日付 中外日報(社説)

「今まで、宗教とは私たちの社会とは別に存在する組織だと認識していた。宗教に対する考えが180度変わった。宗教とは人間本来の姿、つまりお互い助け合って生きているということを明らかにしてくれるのだと思いました」「宗教は、生活、人生の一部なのだと思った」「押し付けられているようで苦手だったが、印象が変わった。人が絶望を感じた時、すがるのは神や宗教だと思った」

先日、関西大で「東日本大震災から生と死、宗教を考える」というテーマで行った講演に対する学生たちの感想文だ。被災地での多くの人々の犠牲や支援活動など宗教者たちの取り組みと、その思いについての話への反応は、「宗教は人の心を支配する悪いイメージだったが、社会の苦に寄り添い、生者と死者のいのちをつなぐ重要な役割を果たしていると分かった」などと熱いものだった。

170人余の聴講生の大部分は宗教学専攻でもないごく一般の若者。それが「今まで死というものに実感もなく供養というのも正直、必要があるのかと思っていた自分が恥ずかしくなった」「人間は縁というものに支えられて生きていると学んだ」と記す。そして「自分は周りの人に手を差し伸べることができるだろうか」と。

「(災害のような)緊急時に宗教家は、弱った心につけ込んで教えを広げるのだと思っていた」という女子は「耳ざわりのいい言葉を並べるよりも、足を運んで『行って』共にいる」ことの素晴らしさに感銘を受け、男子は「世界は苦に満ちていることを既に知る宗教者だからこそ、個々の人々の苦難を直ちに支える事が出来る」との趣旨を深く理解した。

「絶望の中で『大丈夫』と希望を語ることが出来るのが宗教の力だとよく分かりました」「お坊さんは慈善活動で布教しているという印象を持っていましたが、人間としての本質的なところで寄り添いをしているのですね」。このような感想を宗教者たちはどう受け止めるだろうか。

これらは全て、講演で語られた「言葉」にではなく、当然ながらそこで紹介した宗教者たちの「行い」に対する共感だ。その行いが訴えるものに若者たちはどう応えるのか。「自分に何が出来るか考え微力でも力になりたい」「夏休みはボランティアに行きます」

そして、かつて半年間も自宅に引きこもり「訳も分からず死にたいと思っていた」という男子学生は書いた。「たった1度きり、いつ死ぬか分からない命、精一杯生きてやろう!と思います」