ニュース画像
叡南覚範門主からおかみそりを受ける参加者
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

「自己決定権」の陥穽 新型出生前診断から

2013年5月23日付 中外日報(社説)

妊婦の血液で胎児の染色体異常が高確率で分かる新型出生前診断が認定医療機関で始まり、相当件数が実施されたことが報道された。この技術は、精度が完全でなく確定診断には危険を伴う羊水検査が必要なこと、それをしないと最悪の場合、誤診断から健康な胎児の堕胎が行われる恐れがある、という問題が指摘されている。

そして最大の課題として、陽性がはっきりした際に安易な中絶につながることが懸念され、障害を持った胎児への「生命の選別」が問題視されている。だが、「安易」ではない中絶なら許されるのか。ある高齢出産の母親は「乳児に障害があると分かったら命を奪うという親がどこにいますか? 胎児でも同じです」と語った。

では検査することの意義とは。妊婦の精神的な「安心」あるいは出産後への心の準備という理由はあるにせよ、現実には障害児を育てるのに大きな困難が伴う社会であることを考えると、出生前診断自体が、「障害は不幸」と生命の質に優劣をつける優生思想の表れだという批判は根強いのだ。

そこで持ち出されるのは産む側の「自己決定」論だが、同じことが終末期医療でもいえる。安楽死法が施行されているオランダで、89歳で耳や目が不自由になった老女が医師が処方した毒薬で「安楽死」したケースが先月、『朝日新聞』で報じられた。同国では法施行から10年で実施数が倍増して3695件に達した。普及の理念は「死の自己決定権」で、関係団体は背景に「宗教離れと個人主義の台頭」を指摘しているという。

日本でも「自己決定権」を旗印にした「尊厳死」法制化の動きがある。だが、1976年に「安楽死協会」(現・日本尊厳死協会)を設立した太田典礼氏は高齢者や障害者を「半人間」と呼び、「社会に何の役にも立たずに生きているのは罪悪であり、その報いが孤独である」と言ってはばからなかった。優生思想やいのちの選別が経済効率優先で「自己責任」を叫びたてる新自由主義と親和性が高いことが分かる。終末期医療のいのちの重みの問題を、老人医療費高騰の問題にすり替えて「尊厳死」を推進する論調も然りだ。

自らに限定すれば延命措置を拒否する自由は尊重されなければならない。だが、「自分の(あるいは胎児の)生命だから自分が決める」と主張を声高に展開することはどうなのか。経済の論理ではなく、全てのいのちは等しく尊厳があり、個別の生命を超えて受け継がれる、という視点を持つ宗教からの発信が求められる。