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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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お腹の子は誰のもの 命の選別という問題

2013年5月9日付 中外日報(社説)

よく指摘されることだが、わが国の宗教関係者においては、脳死や安楽死・尊厳死の是非など、死の問題はしばしば大きな論議の対象になるが、それに比べると、生(出生)の問題はそれほど大きく問われてこなかった傾向がある。

一方、欧米社会では人工妊娠中絶反対の立場のプロライフ(生命尊重派)と、賛成の立場を主張するプロチョイス(生命選択派)が激しく対立してきた。キリスト教、特にカトリックは終始一貫しプロライフの立場に立っている。

その立場の根底には、受精の瞬間から人間の生命が始まり、その時点から「いのち」の尊厳は担保されなければならないという教義上の立脚点がある。カトリックはその意味でも、ヒト胚を破壊して作製するES細胞には一貫して反対する一方で、体細胞由来のiPS細胞を早い段階から支持してきたのである。

カトリックのこうした姿勢が一定の社会的評価を得ている理由の一つは、それが単にカトリック的立場だからというのではなく、人間にとって普遍的な倫理の立場だと標榜してきたからである。「カトリック」という言葉にはもともと「普遍的」という意味があり、それをうまくかけつつ一般の人々にも届くように発信しているところは、日本の宗教関係者も大いに参考にしてもよいところだ。

現在、生殖補助医療の進展により、人工授精や体外受精はもとより、代理出産のような形での不妊治療も技術的には可能である。しかしその一方で、逆に望まれない妊娠に対しては人工妊娠中絶がなされ、わが国の年間の中絶数は実に約20万件にも上る。従来から取り沙汰されてきたこの問題が最近とみにクローズアップされたのは、この4月から実施された新型の出生前診断によってである。不妊治療を受けてやっと妊娠したものの、この診断により染色体異常が判明した際、それが安易に中絶につながらないよう、医療機関では遺伝カウンセリングによる配慮がなされている。

ここで根本的に問われているのは、生まれてくる「いのち」を選別することは許されるかどうか、ということだ。もちろん好きこのんで中絶を選ぶ人は誰もいない。しかし、当の胎児自身は自ら生きる権利を主張できない以上、最も弱い立場にある。世の中の最も弱い立場の人々に寄り添って考え、行動すべき者こそ宗教者だとすれば、この一点において宗教者がどういうメッセージを発信すべきか、その方向性においては決してぶれることはないと思う。