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身の丈わきまえた科学であってこそ

2013年5月2日付 中外日報(社説)

ラジオの天気予報が始まったのはNHKのラジオ放送がスタートした大正14年だが、その翌年に当時の中央気象台(現・気象庁)の藤原咲平技師はラジオで、要旨次のような講演をしたという。

「お金がいくらできても、これでよいということがないのと同様、予報が上手になればなるほど世間の要求も上がり、結局十分な満足を得る時代は来ないと思う」

予報の精度を上げる努力は怠らないが、しょせん科学の進歩は人間の果てしない欲求に追い付くものではない、と言いたかったものか。このエピソードは気象庁を定年退職後、NHK解説委員を務めた倉嶋厚さんの著書『日本の空をみつめて』(岩波現代文庫)で教えられた。藤原技師は後に第5代中央気象台長になった人である。

日本の天気予報は近年、静止気象衛星など最新の科学で当時に比し精度は格段に向上した。毎夕発表される「あすの天気予報」の的中率は85%を超える。だが、利用者側の採点は思いの外厳しく、平成20年に気象庁が公表した世論調査では「明後日」までの短期予報の満足度は70・5点(郵送調査)~66点(WEB調査)にとどまる。藤原技師は的確に未来を見通していたようである。

倉嶋さんは同書で「世の中の多くの事も、満足度はいつも七〇点くらいで、残りの三〇点の充足を求めて進歩してきた。が、三〇点の欠落ばかり気にしていると、心の余裕を失う」と述べている。人の限りない欲を百%かなえようとすると、どこかに無理が生じる。もとより科学も例外ではない。

ここで老子の言葉とされる「知人者智、自知者明」を思い浮かべた。人を知る者の知恵は優れているが、自分を知る者の知性はより深みがある。そのような意味らしいが、ここではもっと簡潔に、人は自己の「身の丈」をわきまえることが最も肝要なのだという教えと理解しておきたい。

藤原技師の話は予報の難しさや予報技術の限界を知り抜いているからこそ広言を控えた。つまり専門家としての良心に基づくものだったのだろう。科学が人の世にどこまで有用であり得るか、身の丈をわきまえていたともいえる。

話を現代に転じるが、東日本大震災を機に科学技術への国民の信頼感が急落した。昨年版の政府の『科学技術白書』でも科学技術の研究開発の方向性は専門家に任せるのがいいと考える人が以前に比べ半減し、半数を割ったという。科学は誰のためのものなのか。それをあらためて問い直すことが肝要だと誰もが思っていよう。