ニュース画像
参列者が見守る中、晋山式に臨む藤里貫主
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

多様な人々をつなぐ宗教の力が試される

2013年4月23日付 中外日報(社説)

東日本大震災では宗教者が被災者のために積極的に働き、深く感謝される機会に度々出会った。近年、葬儀や法事、結婚式など宗教行事に参加しても、しっくりとした気持ちが持てないように感じることが多いのと好対照をなしている。葬儀等で十分にその役割を果たし得ない宗教者側の問題もあるかもしれない。だが、人々が多忙になり通夜や法事が簡略化し、葬儀後に火葬場に同行する人が減る傾向などを見ると、葬祭など儀礼を通してつながりを深めることには限界を感じざるを得ない。

一方、人々の苦難や心の痛みに寄り添う行為には、大切なことを伝え合い新たなつながりを広げていく可能性が感じられる。被災者だけでなく、自死に思い悩む人々、貧困や孤立に苦しむ人々、自らの、あるいは身近な人の死に直面している人々、死別の悲しみに沈む人々への支援などが宗教者の視野に入りやすくなってきている。困っている人たちに近づき支援するのは布教活動の一環と考えるのが従来の傾向だった。だが昨今の支援活動はそうではない。布教は念頭に置かず、もっぱら当事者のニーズに沿って自分のリソースを投入しようというものだ。そうした宗教活動の在り方を学ぶために、臨床宗教師、臨床仏教師などの養成講座が始まっている。

それらを「宗教の社会貢献活動」と呼ぶこともできる。だが、この呼び方だと宗教者や宗教団体は元来、こうした活動はしないものだというニュアンスが入る。宗教集団は公共的な領域からは離れて同信の仲間だけで結束するものであり、上記のような活動は仮の外向けの活動ということになる。

だが、支援活動に携わっている人々の話を聞くとそうは考えていないようだ。支援活動は本来の宗教性の発露であり、それ自身宗教的な経験の場だと感じる宗教者が多い。多様な考え方を持つ人たちの間でこそ、自らが培ってきた宗教性が生きると感じる機会が増えているのだ。「寄り添い」はそういう態度を表すのにしっくりする言葉だ。

孤立が深まる現代社会は、苦難や痛みに触れながら、相互に心が開けていくこうした宗教性を必要としている。もちろん家族や親族や地域や職場や同信者のつながりは今も大いに助けになる。だが、多様化と関係の複雑化が進む現代社会では、異質な者たち同士の出会いの場で人をつなぐ働きが求められている。宗教にはそうした働きを推し進める力が豊かに備わっている。そして、宗教者の間にそうした自覚が広がっている。