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南の島の被ばく者を忘れることはできぬ

2013年4月2日付 中外日報(社説)

社会派詩人、石川逸子さんの詩集『ロンゲラップの海』に次の一節がある。

《ビキニから百八十キロ離れたロンゲラップに さらさら 雪のように降りつづけた 白い粉

死の粉ともしらず その粉を競って集め 無心に遊んでいた 子どもたち

退去命令は五十八時間後だった

おれたちは人間モルモットにされていたのだ いや 三年後 「安全宣言」されての帰還も その一環だったとは!》

米国は1946年からマーシャル諸島で67回もの核実験をし、うちビキニ環礁で54年3月に爆発させた水爆「ブラボー」の威力は広島原爆の千倍とされる。ロンゲラップ環礁の島民は何も知らされないまま避難までの3日間「死の灰」を浴び続けた。

さらに避難から3年後、米国が「人体に影響なし」として島民ら250人を半強制的に帰島させて以後、島内でがんや白血病、甲状腺障害、死産・流産が相次いだ。このため島民たちは85年、自主判断でクエゼリン環礁メジャト島に集団移住した。石川さんの詩にある3年後の「安全宣言」は米国の無責任さを指すが、90年代の米国の公文書公開でそれが残留放射能の人体への影響を調べる目的だったと疑われている。

ロンゲラップでは98年から表土を剥がす除染作業や住宅建設など帰還事業が進み、米国は島民に帰島を求めている。だが、除染が居住域に限られ、残留放射能への不安が根強い上、過去、米国にだまされたという不信もあって人々の大半は帰還を敬遠しているそうだ(中原聖乃著『放射能難民から生活圏再生へ』法律文化社)。

「ブラボー」実験は、日本では「第五福竜丸」の悲劇で知られるが、近年の調査で実際の被災船は全国のマグロ漁船など約550隻に上るという報告もある。マーシャル諸島ではビキニ、ロンゲラップなど四つの環礁の住民が被災した。だが、その実相は歴史の後景に封印されたままである。

筆者は90年代末にマーシャル諸島の首都マジュロを訪ねたが、核実験のことも、大国の核開発競争に巻き込まれた自国の不幸な歴史についても語る人が少ないことに戸惑った。同国には核実験に伴う巨額な補償金が米国から流入しており、補償金に依存する人々の生活のひずみも気に掛かった。

とはいえ「核」の非人道性を語り継ぐ重い役割を担う人々も少なからずいる。度重なる「核」の被害を受けた日本に住む者として、絆を深めたい国である。