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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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被災地復興の問題と「七つの社会的大罪」

2013年3月12日付 中外日報(社説)

「天譴論」というと、災害は退廃の世に下された「天罰」ととられがちだが、本来は王道に背いた為政者に対する「天の叱責」という理解が正しく、儒教思想に基づいているという。古くは天平6(734)年、畿内を襲った地震で聖武天皇が出した詔にその思想がうかがえるそうである。

治世の不行き届きを自戒し、犠牲になった民衆の救済に努め、善政を誓って世の平穏を願う。詔の趣旨は、そのようなものであったようだ。政をつかさどる者の作法だったのかもしれない。

時代は下り大正12年の関東大震災以降、「天譴論」は原義を離れ堕落した世相への天罰という意味が定着した。その方が、もともと「はかなさ」や「あきらめ」などの言葉に表われる日本人の国民性に合っていたのだろう。ただ、歴史を振り返ると災害でもたらされる人々の苦しみの程度は、時の為政者によってずいぶん違う。

世界を見ても非民主主義的な政権の支配する途上国ほど復旧・復興は遅れる。だが、日本も自慢できるものではなく、阪神・淡路大震災ではマイホームを失った人々への当局の冷淡さが被災者の生活再建を滞らせる一因になった。災害弱者という言葉をよく耳にし、歳月とともに復興の格差が顕在化した。「これでも先進国といえるのか」と疑問を募らせたものだ。

2年が過ぎた東日本大震災の状況はよりいっそう深刻である。広範な被災の現況を知るのは至難だが、今もって「何も変わらない」と嘆く被災者が多いという。生活レベルの復興が遅れる半面、一例にすぎぬが、国土強靭化スローガンの下、自然を分断する巨大な防潮堤建設計画が住民の頭越しで決まったり、被災地と無縁の事業が復興予算に計上されたりした。福島第1原発事故の始末もつかないのに、原発再稼働の必要性を言い募る声も勢いを増している。

「インド独立の父」マハトマ・ガンジーが遺した「七つの社会的大罪」という言葉がある。理念なき政治、モラルのない経済活動や人間性を失った科学など人間社会に対する七つの大罪が先進資本主義諸国に広がっていくことを予感し、警告したものである。

原発事故を審議する一昨年5月の国会審議で参考人の一人がこの言葉を引いて国や東京電力を批判したが、ことは原発にとどまらない。ガンジーが90年近くも前に予言したようなことが今、被災地に凝縮して進行している。21世紀の政治が古代の為政者の作法と大きく懸け離れてしまったような感があるのは実に残念である。