ニュース画像
参列者が念仏を称える中、伊藤門主は1292霊の法名が記された御回向帳を1枚ずつ手繰った
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

自己批判できる組織 社会的信頼性の尺度

2013年3月7日付 中外日報(社説)

福島大は福島県内で唯一の国立大学である。原発事故により福島市内でも高い放射線量が検出されたが、同市内にある福島大はわずか3日間閉鎖した後、業務を再開し、新学期の授業も早々に開始した。大学当局が「安全」宣言を出したからであるが、これに対し、同大の教員有志が学長に直訴したり、公開質問状を出すなどして強く抗議を行い、その流れの中で「福島大学原発災害支援フォーラム」が立ち上がった。

線量は減り続けてはいる。だからといって低線量の被ばくは果たして「安全」なのか。科学者の意見もさまざまであるのに、大学側が政府の意向に従って、この程度は心配ないと決め付けず、学問の府としての見識を示し、もっと慎重に取り組むべきだという。学内においても学生および教職員の健康と生命が懸かっているのだ。

ほぼ同時期に、東京大でも同様のフォーラム組織が形成され、両者は提携しながらアカデミズムの良心に懸けて、原発災害支援の活動を展開するに至っている(『原発災害とアカデミズム』合同出版、参照)。

国立大学だからといって政府の言いなりに動くのが能ではない。大学は自由な学術の場であり、科学的真理を追究するのが、その役割であり使命である。そのためには大学当局との対決も辞さないものであった。結果としてはこの問題が一般の人々の目にも可視化されることで、同大が真理追究の場として柔軟に機能しており、その社会的信頼性をかえって裏付けるものとなっているのである。

柔軟な組織風土があり、真摯な自己批判の姿勢を内側に許容できることは、その組織が健全であることの重要な証拠でもある。内部からの批判を許さず、自己防衛に汲々としているような固く硬直した組織では、社会からの信用を決して得ることはできないだろう。

どんな組織でも外部社会との関わりの中で存在している。宗教組織も例外ではない。大は教団・宗門から小は寺院・教会・布教所に至るまで、社会と何らかの形で関わりを持っている。公共社会の一員としての宗教はソーシャルキャピタル(社会関係資本)としても位置付けられる。

それならばなおさら宗教的真理を追究し、自らの組織がその真理に照らして問題があれば率直にこれを認め、絶えず柔軟に自己改革していく姿勢が必要だ。そして、そういう宗教的組織であれば、そのメンバーの一人一人の信仰者もまた、皆生き生きと活動ができることにもなるのである。