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中国では散逸したが日本には残った古書

2013年2月23日付 中外日報(社説)

中国の本土ではいつしか伝承を絶ちながら、日本に保存され、再び中国に逆輸入されることとなった書物は決して珍しくない。

例えば『論語義疏』。6世紀梁の皇侃が著した『論語』の注釈である『論語義疏』は中国では早くに失われたのだが、荻生徂徠の弟子の根本遜志が足利学校に遺存する写本を整理の上、寛延3(1750)年に出版したものが中国にもたらされ、かの地の学者たちを驚かせたのであった。

『論語』と共に儒教の最も基本的な経典とされる『孝経』の注釈に関しても同様の事があった。

そもそも『孝経』のテキストには、漢代に広く使った隷書で書されたテキストに由来する今文『孝経』と、より古い書体で書されたテキストに由来する古文『孝経』の2種類が存在し、今文『孝経』には後漢の大儒の鄭玄の注釈ともそうでないともされる鄭注が、また古文『孝経』には前漢の孔安国の注釈とされる孔伝が付された。

ところが唐の玄宗が今文テキストに基づいて御注と呼び習わされる『孝経』の注釈を著すに及んで、鄭注『孝経』も孔伝『孝経』も次第に淘汰されて伝承を絶ったのだが、わが国には共にそれらが伝えられており、再び中国にもたらされたのである。

まず北宋の雍煕元(984)年、渡宋した東大寺の僧奝然によって今文『孝経』鄭注が時の天子の太宗に献上される。それから数百年後、清国の海商が太宰春台校訂の古文『孝経』孔伝の刊本を中国に持ち帰り、それに基づく復刻本が行われることとなった。

太宰春台も根本遜志と同様に荻生徂徠の弟子であり、享保16(1731)年11月の日付を伴うその序に次のように言う。「古書の中夏(中国)に亡んで我が日本に存する者頗る多し。……昔、僧の奝然は宋に適き、鄭注孝経一本を太宗に献じ、司馬君実等は之を得て大いに喜べりと云う」。司馬君実は『資治通鑑』の著者・司馬光。続いて「今、其の世を去ること七百有余年、古書の散逸する者亦た少なからず。而るに孔伝古文孝経は全然として尚お我が日本に存す。豈に異ならずや(素晴らしいことではないか)」。

古文『孝経』孔伝がわが国に遺存したのは、疑いもなく「異」とすべき事柄であった。それが中国において復刻されるに当たって学者の盧文弨が寄せた序にも、「此の春、亡逸すること殆んど千年に及び、而して一旦復た之を得たり。此れ豈に天下の学士の声を同じくして快を称する所の者に非ざらんや」と述べられている。