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いのちの尊さ伝える 将来の世代への責任

2013年1月24日付 中外日報(社説)

科学技術の開発はこれまで人々に多くの福利をもたらしてくれたし、今後もそうであるはずだ。だから、世界各国が科学技術を育てようとしのぎを削っているのは理解できる。日本も先進国に負けないように科学技術振興策を進め、科学技術で世界のトップ水準を維持したいものである。それは知的な文化をさらに高めるとともに、経済的な富の増進をもたらすはずだ――。

このような考えに反対する人は少ないだろう。筆者もほぼ賛成である。だが、百パーセント賛成というわけではない。

ここで考えてみなくてはならないことがある。科学技術が人類に福利だけではなく、甚だしい危害を及ぼす可能性が無視できなくなっているということだ。

原子力の問題はそのよい例になるだろう。核分裂反応の発見により、科学者は直ちに原爆の製造に向かった。「原爆の成功」に疑念を持った科学者たちは、「科学者の責任」を唱え、「科学技術の悪用」に警鐘を鳴らすようになった。

では、iPS細胞はどうか。ノーベル賞を受賞した大発見であり、そこから期待される福利は大きい。だが、この科学技術は福利だけをもたらすのだろうか。何らかの大きな危害をもたらす恐れはないだろうか。

この場合、科学技術の「悪用」が問題なのではない。主要な問題は、人間が人間のいのちを自由に操作することが可能になることから来る。例えば、人のいのちを「つくる」ことができるようになる。また、人間と人間ではない動物が混じった存在をつくることができるようになる。それによって利益を受ける人がいるが、一方で、人間の福利を脅かす結果を生み出す可能性もある。

ただし、それは未来のことなので、いまは想像するしかない。想像するだけでは現実味がないので、無視することもできる。では、無視してどんどん開発を進めてよいのだろうか。

将来の世代の人たちに及ぶ危害について本格的に考察する学術が育てられなくてはならない。これは公共哲学や倫理の問題であり、取りあえず生命倫理の問題として取り組まれている。だが、宗教こそこうした問題を真剣に考える底力を持つ文化資源ではないだろうか。

なぜか。それは「いのちの尊さ」が何に由来するかは、合理的に考え出せるようなものではないからだろう。人類はその智恵を宗教という形で伝えてきたのだ。