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棺の中に入れられた儒教の経典の『孝経』

2013年1月22日付 中外日報(社説)

唐の陳子昂の撰文にかかる「楊府君碑」は、碑主の楊越が自分の死後には薄葬を行って墓中に「珠玉」を蔵してはならぬこと、そして「唯孝経一巻、堯典一篇、昭示後嗣、不忘聖道」、このように遺言して世を去ったと伝えている。

中国から届いた『歴史研究』2012年5号が掲載する乜小紅氏の論文「秦漢から唐宋時代に至る遺言制度の演変」は、この碑文について言及し、楊越は『孝経』と「堯典」を子孫のもとに留め置いたのだと解釈している。だがそうではあるまい。何故かといえば次のような事実を知るからである。

2世紀の後漢の周磐は、死に臨んで薄葬を行うように命じ、「二尺四寸の簡を編んで堯典一篇を写し、并びに刀筆各々一をば以て棺の前に置け。聖道(聖人の道)を忘れざることを示さん」と遺言した。「堯典」は五経の一つ『書経』の冒頭の篇で、古代の聖王である堯帝のさまざまの聖徳が語られている。儒教の最も重要な経典である五経は2尺4寸の長さの「簡」つまり竹簡に書写される習わしであった。刀筆は竹簡に書写する道具のナイフと筆である。

『論語』と共に五経に次いで重要視される儒教経典の『孝経』についても次のような事実を指摘することができる。

3世紀の西晋の皇甫謐は自分の死後の埋葬法を指示する「篤終論」を著し、生前に使用した品物は死後の道連れとせず、「唯だ孝経一巻のみを齎して孝道を忘れざることを示さん」と述べている。6世紀の梁の沈驎之は、皇甫謐に倣って自分の棺の中に納めるのは『孝経』とせよと遺言し、梁の第3代皇帝の元帝蕭繹の著書である『金楼子』、その終制篇も、皇甫謐たち先人の遺書を引いた上、自分の墓中に納めるべきものの一つに『孝経』を挙げ、「此の外、珠玉は入れず、銅鉄(の品)は蔵すること勿かれ」と述べている。終制とは葬儀に関する遺嘱に他ならない。時代が下って、京都シナ学の創始者の一人・内藤湖南も、「わしが死んだら孝経一巻を浄書して枕もとで読みそれを棺の中に入れてくれ」と遺言したという(青江舜二郎『竜の星座』)。

もはや明らかなように、唐の楊越は周磐や皇甫謐たちに倣って「堯典」と『孝経』を墓中に随葬するように命じたのであり、それによって自分が儒教の聖人である堯帝や孔子の道を死後にも忘れないことを子孫たちに示そうとしたのである。冒頭に引用した文章は「唯だ孝経一巻と堯典一篇もて、後嗣に昭示するに聖道を忘れざることを」と訓読すべきであろう。