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あらためて問われる政財官の無責任体制

2012年12月18日付 中外日報(社説)

人が短期的に記憶できる事柄は七つまで、最大でも九つという。心理学で「マジカルナンバー」と呼び、人の購買行動などにも現れるそうだ。例えばあまり多種類のジャムを店に並べると消費者は品定めの意欲を失い、店の売り上げ効果も薄い。不謹慎なようだが、12もの政党が争ったこの衆院選の結果にも当てはまりそうだ。

公示前は一部で原発問題が「シングルイシュー」(単一争点)とさえいわれていた。だが有権者から見て選挙の焦点がぼやけてしまったのか、「脱原発」を訴えた政党は予想外に伸びなかった。とはいえ「脱原発」論争がこの選挙で終わったわけではない。原発と原爆は人知で制御できない脅威という意味でも表裏の関係にあり、それを忘れた瞬間に破局が始まる。

よくいわれることだが、福島第1原発の事故は日本の国の形を象徴する。国の原子力政策は秘密主義で決められてきた。原発の立地は過疎地に集中させ、その代償としての巨額な各種補助・助成金や不明朗な寄付金が地域住民の自治意識をゆがめてきた。事故は「起きない」という虚構が恣意的につくられ、危険な作業は全国約5万人の原発労働者の大半を占める下請けの作業員にやらせる。

福島県では16万人もの人々が今なお自宅に帰れない。家族ばらばらにされた上、多くの人が一時的な避難ではなく半永久的な「ディアスポラ」(離散)に追い込まれかねない。事故直後、漏出した放射性物質の適切な拡散情報が住民に届けられず、避けられた被ばくをした人々も少数ではない。被ばくによる健康障害が、仮に出るとするなら4年後からともいわれ、事態は依然深刻だが、誰も誠実に責任を取ろうとしない。それがこの国の内実である。

話は飛ぶようだが、先の大戦末期に数万人ともいわれる兵士を熱帯に放棄し、餓死させたインパール作戦を思い浮かべる。この無謀な作戦を立案、遂行した司令官はその反省も、責任を取ることもなく戦後を生き延びた。旧軍部ではこの人物と同様、自己の責任に口を拭い続けた高級将校が少なくなかった(文春新書『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』)。

同書の著者、半藤一利氏は当時の軍部の無責任体制と福島の原発事故で見える今の政官財の無責任体制は共通するといい、それに対する「根本的な反省のない限り、3・11以後の日本の再建はありえない」と述べている。今回の選挙で問われたのも、実はそのことではなかったか。これからも問い続けねばならない争点であろう。