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寺院子弟が減った 宗門系大学の将来

2012年12月13日付 中外日報(社説)

田中眞紀子・文部科学大臣の発言で、大学設立認可が二転三転して世間を騒がせたが、宗教界にとっても国の文教政策の動向は大きな問題である。それは単に宗門校の経営のみならず、宗門自体の存立条件にも何らかの影響を与えてきたからだ。

第2次大戦後の新制大学制度により、大学は市民の大学と位置付けられ、次第に大学の大衆化が進んだ。各大学は学生数の増加を図り、広い校地を求めることを義務付けられ、経営の論理を重く見るようになった。そうした流れの中で、いま日本の学校教育が直面しているのは、各段階の学校が進学、就職との関係で「偏差値」に縛られていることである。

その弊害は識者の指摘を待つまでもなく、多くの人々が気付いているのであるが、現実には学校ごとの「偏差値」が一元的な感覚で社会の通念となっている。

いずれ寺を嗣ぐことになる宗門の学徒もこうした「偏差値」の幻想に縛られているように見える。住職、副住職になる前に、広い社会に出て経験を積むのはいいとしても、偏差値競争の勝者を目指す必要まであるのか。少し立ち止まって考えてみてもいいのではないか、と思われる。

確かに、企業への就職を考えれば、宗学・仏教学系の学部学科は有利とは言えない。少なからぬ宗門系大学では、本来ならば「看板」となるべき宗学・仏教学系学部や学科が深刻な定員割れを続けている。

檀家の寺離れなど、寺門を支える基盤が揺らいでいる状況で、有利な条件の兼職を考える必要が高まっているにせよ、これはゆゆしき問題だ。単に宗門校のみならず、宗門全体の教学のレベル、宗門人の資質にも関わってくる事柄である。

僧侶が専門性の高い存在であるとしたら、宗門校の宗学系学部・学科が後継者教育という本来の役割を減じつつある事実は真剣に受け止めねばならない。この状態の改善は最優先課題であるはずだ。小僧教育が重要と考えられてきた宗門では、それも成り立たない社会・家庭環境になっているだけになおさらだ。

このまま放置すれば、単純により高レベルの偏差値の大学へ、宗門の学徒は流れてゆくだけだろう。宗門徒弟の進学選択を批判するのは後回しにしていい。まず、大学の経営者や研究者自身が、宗門が直面している事態を解析して、大学の経営、教育の在り方を根本的に検討していく姿勢が必要である。