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現代人の宗教離れ 経済中心的な発想

2012年12月6日付 中外日報(社説)

あるカルチャーセンターに宗教のクラスがある。特定の宗旨を立てるのではなく、広く宗教的観点から現代を考えようとするクラスだから、例えば煩悩――我執・我欲つまりエゴイズム――がどこから生じ、現代の社会や具体的人間関係に何をもたらすか、煩悩の火を鎮めるにはどうしたらよいか、というような話題が中心となる。現代にとって煩悩は個人ではなく社会の問題なのだ、と言いたいのである。そして講師は一方的に講義をするのではなく、なるべく講師への質問や相互の討論を盛り上げようと苦心しているという。

ところで、筆者の経験から言っても、日本の一流といわれる大学では、学生の質問も活発だし、それも一問一答に終わることなく、納得のゆくまで質問をする学生がいるのだが、ゼミナールでも議論が学生同士の討論に発展することはめったにない。

ここがギリシャ・ローマの古代以来、弁論術の研鑽に励んできた西欧とは違うところで、これは師への忠誠と従順を徳としてきた日本人も、もう改めなくてはならない点である。批判的質疑を嫌う権威主義的教師もいるらしいが、もっての外のことだ。

上記のクラスでは受講者に年配の男性が多く、教養も経験も豊かだから、受講者のお互い同士の意見交換や討論が始まることが度々あるらしい。それは大いに結構だと話すと、講師先生は「必ずしもそうではない」という。議論の程度が低いわけではない。受講者の中には経営や営業の経験者がいて、だから話題が経済のことになると、たちまち受講者同士で意見交換が始まる。ところが討論が活発になると、いつの間にか宗教はどこかに消えている。

どうしたら内需が増えて景気が回復するか、豊かな老人にカネを使わせるにはどうしたらよいか、ゼロ金利は是か否か、そもそも世界的不景気をもたらしたのはどこの国のいかなる政策かといった話になり、議論の内容はテレビや新聞と大差がなくなってくる。

「煩悩」が現代社会に何をもたらしているか、この煩悩的世界をどうしたらよいか、といった視点は二度と浮かび上がってこない。聞いている講師はレフェリー役を務めて議論をコントロールしたくないから、ぎりぎりまで我慢しているのだという。「宗教のクラスでこれだから、現代日本人の宗教離れと経済中心性はここまで来ているんだ」とはこの講師の嘆きである。宗教者の布教活動でもそうした心理的距離を越えるのはやはり容易ではないだろう。