ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

宗教教育担う宗門校 期待される「教育力」

2012年11月1日付 中外日報(社説)

「教育力」の低下が問題となっている。学校だけでなく、家庭、地域それぞれの領域で、教育力が失われ、それがモラルの低下につながって、社会全体の混迷を招いている、とされる。

家庭教育については少子化、核家族化の影響が大きいだろう。生活の様々な面での利便性向上で地域の助け合いも不必要になり、近くの他人から人と人の付き合いの常識を学ぶ機会も乏しくなった。

家庭や地域での教育の上に成り立っていた学校教育も、存立条件が揺らいでいる。いじめ問題では教員の資質、学校の管理者や教育委員会の体質などが問われているが、教育崩壊の原因の根は深い。

社会の道徳的基盤が見失われつつあるような現状で、宗教教育に対する期待を語る声がよく聞かれる。平成18年の教育基本法の改正では、宗教教育にも焦点が当てられ、当時、全日本仏教会は「日本の伝統・文化に寄与してきた宗教」の意義の尊重や、「宗教情操の涵養」などを改正案に盛り込むよう中央教育審議会に要請した。

日本宗教連盟も公教育で教育基本法の「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」とする規定は宗教教育全般を禁止するような解釈を生む余地があると批判し、「宗教教育」を「宗派教育」と改め、公教育における禁止対象を明確化するよう提案した。

この時の改正では、第15条(旧第9条)1に「宗教に関する一般的な教養」の尊重という語句を追加するにとどまった。公教育の場における信教の自由、政教分離の問題が配慮されたためである。「宗教情操」はなお論議があってよいが、「日本の伝統・文化に寄与してきた宗教」の意義の尊重を教育基本法で特に明記するのはやはり適切とはいえまい。

しかし、公教育には制約があっても、宗派立の学校で「特定の宗派」のための「宗教情操教育」を行うのは自由である。むしろ、それぞれの建学の精神を踏まえ宗教教育(宗派教育)に積極的に取り組み、社会に対して率先垂範する使命があるというべきだろう。

十把一絡げに論じることはできないが、宗門校の宗教教育の「教育力」についてはまだまだ改善の余地が存在するように思われる。

宗門校だけではない。宗派自体の教育力もあらためて考えてみる必要がある。宗教者の資質向上、地域の精神的拠点としての寺社・教会などの活性化に関しては包括法人の役割は大きい。宗派の教育力そのものがいま問われていると考えるべきだろう。