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天子の機嫌を取り詩才を隠した詩人

2012年10月23日付 中外日報(社説)

6世紀中国の梁の鍾嶸が著した『詩品』は、前漢から梁の時代に至るまでの五言詩の作家123人を上品・中品・下品の三品にランクづけした上、それぞれに論評を加えた文学評論の書物である。

その『詩品』が中品の一人に数えている南斉の江淹の条に次のような逸話が載せられている。

ある日の夜の夢に一人の美男子が現れ、自分は郭璞だと名乗った上で言った。「わしが筆をお前にあずけてから、もう長年になる。返してくれるがよい」。江淹が懐の中を探ったところ、5色の筆が見つかり、それを相手に手渡した。それ以後、江淹の作品は無残な駄作ばかり。それで世間では「江淹は才尽きたり」とはやし立てた。

郭璞は『詩品』がやはり中品に列する4世紀東晋時代の詩人であって、とりわけ仙界に遊ぶイメージをうたう「遊仙詩」に手腕を発揮した。

江淹の逸話は夢の中で5色の筆を郭璞に返したために「才尽」、すなわち詩才が尽きてしまったという趣向なのだが、江淹と同様に「才尽」と評判されたもう一人の詩人がいた。江淹のいくらか先輩に当たる鮑照である。

鮑照も『詩品』が中品として江淹の2人前に列している詩人であるが、鮑照が「才尽」と評されたことは、『詩品』ではなしに『宋書』が伝えるところである。

それによると、5世紀劉宋の孝武帝に仕えることになった鮑照は、孝武帝がいっかどの詩人を気取り、自分にかなう者はおるまい、とうぬぼれているため、わざと自作の詩文に「鄙言(卑俗な言葉)」の句を連ねて天子の機嫌を損ねないようにつとめた。そのため世間では、鮑照は「才尽きたり」と評判したという。

鮑照の詩才はなかなかのものであったが、しかし『詩品』が「嗟、其の才は秀ずるも人は微なり、故に湮を当代に取る(才能は抜群であったが家柄が低く、そのため当時の世に埋もれた存在であった)」と評しているように、悲しいかな、下級士族の出身であり、それ故に孝武帝に対しても卑屈な態度を取らざるを得なかったのである。

鮑照が生きたのは、何事につけて家柄がものをいう身分差別の厳しい時代であった。『宋書』が鮑照について、「当時咸な照は才尽きたりと謂う」とひとまず記した上、続いて「実は然らざるなり」、本当はそうではなかったのだ、と述べていることにいくらかほっとするとともに、複雑な思いなしには済まされない。