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「刹那」を究めた業績 「劫」にわたり記憶を

2012年10月4日付 中外日報(社説)

仏教には「劫」という、途方もない長い時間の観念もある一方で「刹那」という極めて短い単位もある。「四劫説」によると、この世界が生じてから次の世界に生まれ変わるまでに「劫」が4回経過するそうだ。ビッグバン~137億年。一つの「劫」は億を幾つ重ねるであろうか。

逆に、短い単位の「刹那」は、仏教の諸説によると、指でひとはじきする時間の65分の1だとか。大毘婆沙論によると、1日の648万分の1を1刹那とする説もあるらしい。1秒の75分の1ということになる。

このほど、理化学研究所(埼玉県和光市)が存在確認をした113番元素の寿命は、500分の1秒だという。1刹那の7分の1ほどの短時間である。加速器の中で亜鉛の原子をビスマス(蒼鉛)の原子にぶつけると、この113番元素が生じ、一瞬の後には分裂して別の元素に分かれてしまう。その一瞬に出合うために、多くの研究者が長年の研究を重ね、物質の根源に迫ろうとする。

理化学研究所は大正4(1915)年、第37回帝国議会で創立が決議され、2年後に財団法人として発足した。欧米諸国にひけをとらぬ科学技術を啓発することを旗印に掲げ、初代所長は数学者の菊池大麓。寺田寅彦や鈴木梅太郎らが名を連ね、初期には合成酒やビタミン剤などの開発が社会から注目された。やがて仁科芳雄や湯川秀樹らが参画、原子物理学研究も進められた。

昭和12(1937)年には原子核実験のためのサイクロトロンが建設され、16年には原子爆弾を造るための「二号研究」が開始された。パール・バック原著の実録小説『神の火を制御せよ・原爆をつくった人びと』=丸田浩監修、小林政子訳・径書房=では、米国の原子科学者たちが、日本の科学者の実力を甘く見てはならぬと話し合う場面がある。

日本は原爆を造れぬまま終戦を迎えたが、日本を占領した連合軍は、昭和20年11月、理化学研究所のサイクロトロンを破壊し、海に沈めた。こうした波乱の歴史を越えての、113番元素の存在確認であった。

脱原発論議を通じて、科学への関心が高まっている。現在は独立行政法人となった理化学研究所の存在を知る人は少ないかもしれないが、スパコン「京」を開発したのもこの研究所である。理研チームが発見者と認定されれば、113番元素の命名権が与えられる。「刹那」研究の成果が「劫」の長きにわたって記憶されることを。