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経済成長至上主義の終焉と人間性の発見

2012年9月25日付 中外日報(社説)

不況が続いている。政府や経済界の努力にもかかわらず消費志向が盛り上がらない。不況が到来したら政府は赤字国債を発行してでも公共事業に投資を行い、利子率を下げれば景気は回復するはずであった。1920~30年代、アメリカの大恐慌ではルーズベルトが上記のケインズ説によるニューディール政策で成功したとされるが、現在では公共事業への投資もあまり景気を刺激しないようだ。

金利が下がれば投資家が先物買いに走って石油や穀物が値上がりし、景気の足を引っ張る。購買欲をそそる大型の技術革新は影を潜め、さまざまな制限を撤廃して「自由化」を進めれば経済的格差が広がってしまう。ケインズもフリードマンも景気回復の特効薬にはなっていないようである。

高度経済成長期には誰もがテレビやマイカーやマイホームを欲しがって働き、カネを落としたが、社会は成熟期に達していて、これ以上どうしても買いたい物はあまり多くはないらしい。蓄えのある老人層が消費を控えるのは、カネを使えばインフレ傾向を招いて資産価値が減ると心得ているためだ、とか。一般に人々は少子化の将来に不安があるから消費と投資より貯蓄を選ぶという。しかし不況の原因はそれだけだろうか。

そもそも近代化を担ったのは産業革命であった。科学技術と結合した産業革命は世界を変えた。生活は豊かに便利に快適になった。ある意味で安全にもなった。他方、産業化はいわゆる後進国の植民地化と、先進国間の2度の大戦を生んだ。いまや経済成長が資源の枯渇と環境の悪化をもたらすことが明らかになっている。

ところで経済学は、人間は利益を求めて合理的に行動するという仮説のもとに作られている。この前提には普遍妥当性があると信じられてきた。しかしカネとモノへの欲望には限界があることが見えてきたようだ。おそらくこの限界は経済成長至上の近代が終焉することを意味するのであろう。

政治家も経済人も本気にするまいが、人間が欲するものはカネとモノだけではないことを再認識すべきだ。人間生活の健全性のためにもっと大切なものがある。

かつて人類が都市化を初めて経験した時、社会生活の崩壊を防ぐためにいわゆる世界宗教が生まれたとみられる節がある。現代において情報産業の発達は未曾有の都市化をもたらし、これは人間性と人間関係の浅薄化ないし変質を招きかねないが、実は現代はすでに人間性の深みの再発見を求めているのである。