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日比谷焼打ち事件の教訓と尖閣諸島問題

2012年9月22日付 中外日報(社説)

明治38年9月、日露戦争後のロシアとの賠償交渉に不満を持つ民衆が東京・日比谷公園で暴徒化し、政府が戒厳令を出す事態に発展した。いわゆる日比谷焼打ち事件である。この暴動は大衆運動の高まりを示したが、排外主義や膨張主義という狭量さを内に秘め、後のアジア・太平洋戦争へとつながっていった。

一段と険悪化する尖閣諸島の領有権争いで100年余も前の事件を思い出したのは、歯止めを失ったナショナリズムの始末の悪さを危惧するからだ。当時の日本の社会状況が昨今の中国と似通っているという指摘もある。感情に流されず、歴史を振り返って熟慮する冷静さが日本側にも求められる。

日本は日露戦争に勝ったのに、米国の調停で結ばれた日露講和条約(ポーツマス条約)で期待された戦費賠償や樺太全土の移譲を得られなかった。このため一部の政治家や新聞は「屈辱的」と講和反対を叫び、民衆の怒りは「愛国心の表れ」などと主張した。暴動の矛先は圧政を敷く藩閥政府に向かい交番や内務大臣官邸が焼き打ちされた。ニコライ堂、米国公使館やキリスト教会も狙われた。

当時の日本は大国ロシアへの戦勝ムードに沸く半面、急速な近代化で社会的なひずみが拡大していた。暴徒の多くは、生業を奪われ戦争による大衆課税で生活を圧迫された都市住民だったとされる。

中国は今、世界第2位の経済大国に急成長したが、人々の社会的格差は拡大している。経済成長から取り残された人々が反日デモの中心にいることは以前から知られていたが、役人の腐敗や表現の自由の制限、深まる社会的不公正などへの積もる不満は容易に政府の外交姿勢への批判に転嫁される。愛国心を刺激するマスメディアの影響力も小さくはなかろう。

日中間には歴史問題という深い溝があり、尖閣問題で中国の国民感情が一層先鋭化するのは避けられまい。だが、ナショナリズムが危うい方向にあるのは日本も同様だ。強硬な言葉を競うように一部政治家やメディアが対立をあおる図式は日比谷事件でも見られた。その後の人々の悲運を顧みる時、両国の国民レベルで共有したい日本の「負」の歴史体験である。

明治38年は日本が大韓帝国を保護国にした年でもあった。その歴史が韓国と対立を深める竹島(韓国名・独島)の領有権争いに関係している。仏教圏の主要3カ国が領土問題をめぐり激しくいがみ合う。思えば実に不幸なことだが、こういう時だからこそ謙虚な姿勢で歴史に学ばねばならない。