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分野によって異なる「盗用」に関する意識

2012年9月13日付 中外日報(社説)

古代の中国で、先人の作品を文章表現もほとんどそのままに襲用することは決して珍しい現象ではなかった。後漢の班固の撰述にかかる『漢書』は前漢一代の歴史を叙す断代史だが、その前漢代前半に関する記事が、黄帝に始まって前漢の武帝時代に至るまでの通史として著された司馬遷の『史記』の文章をほとんどそのままに襲うことはよく知られた事実である。

このような例は他にいくらも指摘することができるのであり、彼らにとって盗用の意識などおよそ無縁であったかに思われる。とはいえ、誰しも全てが他人の著作を無断使用することに無神経であったわけではない。とりわけ、注釈学の分野ではそうであった。

後漢の鄭玄といえば、さまざまの儒教の経書の注釈を著したことで知られる大学者だが、例えば『周礼』に注釈を施すに当たって、先輩の鄭衆の説を利用する際には「鄭司農云わく……」と必ず明記し、その上で自説を開陳している。鄭司農というのは、鄭衆が大司農の官であったからである。

あるいはまた5世紀の裴駰の『史記』注釈である『史記集解』。裴駰も先輩の徐広の『史記音義』を十分に意識し、実に丹念に「徐広曰わく……」と断った上でその説を引用している。

このように注釈学の分野においては、先人の説をあたかも自説であるかのごとくに装って用いることに慎重であったかに察せられる。だからこそ、次のごとき記事に巡り合いもするのだ。

例えば廬山の慧遠に関する逸話。4、5世紀の中国を代表する高僧の慧遠はいわゆる外典にも博通する碩学で、ある時、儒教経典である『儀礼』の喪服篇の講義を行った。その講義を聴講した在俗の士の雷次宗なる人物、その後、自ら『儀礼』喪服篇の注釈を著わし、巻首に「雷氏撰」と題した。すると、雷次宗と一緒に慧遠の講義を聴講したことのある宗炳がこうからかった。「昔、足下とともに慧遠和尚のもとでこの講義を聞いたことがある。今になって雷氏撰と題するのかね」。唐初の書籍目録の『隋書』経籍志に「略注喪服経伝一巻。雷氏宗注」の著録があるが、現在には伝わらない。

あるいはまた唐の姚珽。姚珽は曾祖父の姚察が『漢書』の注釈として著わした『漢書訓纂』の説が、後人によって断りなしに用いられていることに憤慨し、新たに『漢書紹訓』を著して曾祖父の顕彰に努めた。『漢書紹訓』は世の中に広く行われたというが、残念ながらその書物もやはり現在には伝わらない。