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持続可能性の問題と命を尊ぶ宗教の叡知

2012年9月11日付 中外日報(社説)

科学技術の発展は著しく、人類の生活はますます便利で快適なものになり、一昔前に比べればはるかに豊かで楽しみが多い、また各自が創造性を発揮できる方向に進んでいるかに見える。その背後には、科学技術が経済発展と結び付き、利潤を生む科学技術の開発に世界各国がしのぎを削っているという事実がある。

だが、近い将来に経済的に利益を生む科学技術の全てが、長期的に見て人類の福祉に貢献するものかどうか? このことは、あらためてじっくり考えてみなければならない。

これは近年、環境問題を通して広く世界的にも注目されるようになった問題である。「持続可能性」という語で表現されることが多い。

資源を現在の状況のまま湯水のように浪費し続けていると、いずれ資源が枯渇したり環境を破壊したりして、長期的には人類がこれまで保ってきた生活環境を維持することができなくなる。そのことが問題になって、「持続可能な発展」を目指す科学技術や経済システムが考えられるようになってきた。

だが、この「持続可能性」という考え方がまだ十分に浸透していない領域がある。科学技術がやがて人間の生存を脅かすことになるのではないかと懸念される事態は多方面に広がっているが、短期的な経済効率、経済発展を望む力は大変強いので、持続可能性を考慮する発想が容易に遠ざけられてしまうのだ。

東京電力福島第1原子力発電所の事故が象徴する原発問題はそのよい例だ。起こり得る事故や廃棄物の処理のことを考えるととても採算がとれないことも、あたかもコストが低いかのように装ってきたのが原発推進の実態だった。

同じようなことが生命科学や医療の領域でも起こっている。「21世紀はバイオの世紀」といわれるように、生命科学・医療分野は技術革新と巨大な利潤の源泉として注目されている。お金がつぎ込まれるところにこそ科学の進歩があるように見える。

だが、医療をめぐる科学技術の進歩がもたらすさまざまな「副作用」にはなかなか考慮が及ばない。子どもの選別や代理出産、臓器の作製などがいったい何をもたらすのか。生命科学と医療をめぐる持続可能性が問われている。

その問いに答えようとすれば、「いのち」を尊ぶ人類の叡知、宗教の叡知に向き合わざるを得ないだろう。宗教者に準備はできているだろうか。