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互助精神がどうして社会に定着しないか

2012年9月4日付 中外日報(社説)

学生にこういう質問をすることがある。いま10人の人がいたとする。各人はいつも他の人のためを思っていて、何かあれば助け合う。この場合は各人にとって9人の味方がいることになる。他に10人の人がいたとする。こちらでは各人は自分の利益だけを重視して他人はどうなってもよいと考えている。この場合は各人にとって9人の敵がいることになる。さて、どっちのグループに属した方が生活しやすいか。

学生はもちろん前のグループだと答える。当たり前のことだろう。ところが世の中では、それぞれ事情があるには違いないが、この簡単な理屈が通用しない。

例えば現在は不況が長引いて皆が困っている。物が売れない、内需が減っている、という。そこで企業側がどうするかといえば、第一になされるのはコストの削減である。賃金は上がらず、リストラが強行される。これは当該企業だけの利益を考えてなされることだ。

だが、多くの企業が同じ対応をすれば、当然のことながら購買力は低下し内需が減る。するとますます不況が深刻化するわけだ。原発の事故も目先の利益を優先して安全のためのコストを無視した結果であった。

しかし、世界的不況の中で賃金が減っていない国もある。ドイツでは賃金は上昇傾向にあるという。これはコストの削減ではなく、商品の質を向上させること、つまり消費者のためを思う努力のたまものなのだそうだ。

経済学者によると、経済学が重視したのは最大利潤ではなく公正な競争と適正利潤だという。競争原理のもとではとかく自社の利潤の増大が求められるが、適正利潤の場合は社会全体が視野に入る。それによって社会全体の利益になるのである。経済学ははじめは社会全体の幸福を目指す社会倫理だった。ところが、現代では自社の利潤を極大にする理論が用いられる。

倫理も宗教も、もともと利害を超えた視野を持つものだが、だからといってわざわざ損をせよと教えているわけではない。倫理も宗教も助け合い譲り合いを勧める。これが全体の利益に合致するのである。

しかし実際には「自由競争」の原理の中で個人も集団も自分だけの利益を優先して、それが結局は皆の不利益となる。これほど明白で分かりやすい理屈が通用しないのは、世が愚かなのか、教育が不備なのか。それとも、宗教者が怠慢で非力なためであろうか。