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山本美香さんの死とフリー取材者の視点

2012年8月30日付 中外日報(社説)

海外の内戦や内紛を取材中に命を奪われた記者たち。昭和の年代では1970年、カンボジアでの沢田教一さん。最近では2004年、イラクでの橋田信介さん。07年、ミャンマーでの長井健司さん。10年、タイでの村本博之さんらが記憶に残る。契約記者、特約記者などの肩書はあるが、実質はそのほとんどが、フリーの記者であった。

その痛ましい名簿に、シリアでの山本美香さんが加えられた。45歳。03年度のボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受けている。ジャパンプレス社所属というが、彼女もまた実質はフリーで、女性の視点から取材した映像は在京テレビ局から全国にネット中継されていた。

ある全国紙は、山本さんの死を伝える記事に添えて報じた。「民放の紛争報道はフリージャーナリストたちとの協力関係によって成り立ってきた。資金のあてがつくことでフリーの記者は戦場取材が可能となり、民放にしてみれば海外報道を補強できる上、社員を危険にさらすリスクも回避できる=要旨」。映像報道の内幕をさらけ出した解説記事だ。

前記の沢田教一さんと同じころに、『ライフ』誌やPANA通信特派員などの肩書で、ベトナムをはじめドミニカ、ビアフラなど世界の紛争地を取材したカメラマンに岡村昭彦という人がいた。岩波書店刊の『南ヴェトナム戦争従軍記』などの著書を残したが、この人は「望遠レンズを使うのは邪道だ」と言い続けた。

「安全な場所から望遠レンズを向ければ、戦場は映せる。しかし真実は映せない。だから私は、35ミリレンズのカメラを使い、最前線で撮影を続けた。35ミリは人間の自然の視野なのです」と。

岡村さんはベトナムで、米軍の"枯れ葉作戦"の実態を見た。空から薬剤をまいて樹木を枯死させる戦法が生態系を破壊するだけでなく、奇形児の生まれる原因となっていることを知った。戦争取材をやめた後の岡村さんは、その晩年をバイオエシックス(生命倫理学)の正しい普及を図る運動に捧げた。全国各地で勉強会を開き、集まった母親たちに、自然の生態系を守ることがいかに大切であるかを説き続けた。

常に民衆の側に立って、弱者の目で取材し続けた、35ミリレンズ撮影者の経験が、全国の母親の共感を呼んだ。現在の脱原発を訴える"金曜デモ"の原点ともいえるだろう。山本美香さんの残した映像からも、岡村さん同様の"弱者の視点"を受け止めたい。