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性と天道については語ることのない孔子

2012年8月4日付 中外日報(社説)

『論語』の公冶長篇に孔子の弟子の子貢の次のような言葉が記録されている。

夫子の文章は得て聞く可きなり。夫子の性と天道とを言うは得て聞く可からざるなり。

孔子先生は「文章」すなわち文化の精華である礼楽について語られることはあるものの、「性」すなわち人間の本性や、「天道」すなわち宇宙の法則などの問題について孔子先生が語られるのを耳にすることはできない、というのである。孔子が「性」と「天道」について語ることがないというこの『論語』の言葉は、儒教にとってのアキレスの腱となった。

1世紀の後漢の桓譚は、讖緯すなわち讖記と緯書とが流行するのは、「性」と「天道」について語ることがないという言葉に象徴される儒教経典に対する不満がそもそもの原因だと述べている。讖記とは未来記。緯書の「緯」は儒教の経典である経書の「経」が縦糸を意味するのに対して横糸を意味し、経書を補完するものとされる。緯書は孔子制作の名のもとに後漢時代に盛んに偽作され、大いに流行したのである。讖記にせよ緯書にせよ、そこに語られるのはもっぱら神秘思想であった。

3世紀の三国魏の荀粲は、孔子が「性」と「天道」について語ることがないのであれば、儒教の経典は残りかすのようなものにすぎぬと考え、玄学に深く魅了された。玄学とはもっぱら老荘の道家哲学に基づく形而上学である。

さらに時代が下って、5世紀の劉宋の謝霊運と范泰は常々こう口にした。――儒教経典はそもそも世俗救済のための政治教学であり、「霊性の真奥」を追究するためには仏教経典を指南と頼まなくてよかろうか、と。「霊性の真奥」とは不思議な心の本質というほどの意味であり、孔子が黙して語ることのなかった「性」と通底するであろう。

劉宋時代きっての詩人として知られる謝霊運。また劉宋王朝の大官であった范泰。2人はもとより仏教の信奉者であったが、注目したいのは、范泰がその若き日、父の范甯をリーダーとして行われた儒教経典の一つである『春秋穀梁伝』の注釈作業に加わったにもかかわらず、彼の口からかかる言葉が吐かれている事実である。

「性」と「天道」について語ることのない孔子。そのことに対する不満が、後漢時代においては讖緯の流行を生み、三国時代においては荀粲をして玄学に熱中させ、劉宋時代においては謝霊運や范泰をして仏教経典に傾倒せしめることとなったのである。