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方丈という言葉の相反するイメージ

2012年7月21日付 中外日報(社説)

同じ一つの言葉がおよそ正反対のイメージのもとに使われる場合がある。例えば「方丈」という言葉だ。

「方丈」といえばすぐに思い浮かぶのは鴨長明の『方丈記』だが、長明は京都の東南の日野に次のような庵を営み、その庵において『方丈記』を書きつづったのである。

その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺がうち也。……若心にかなはぬ事あらば、やすく外へ移さむがためなり。

方丈とは1丈四方、すなわちおよそ3メートル四方のこと。従ってその庵は、さしずめ4畳半ほどの空間に当たるであろうか。

長明がこのような簡素な庵を営むことを思い立ったのは、「たびたび炎上に滅びたる家、又いくそばくぞ(どれほど多かったことか)。ただ、仮の菴のみ長閑けくして、恐れなし」と考えたからであり、それは『方丈記』の冒頭部に「七珍万宝さながら灰燼となりにき」と語られているところの、安元3(1177)年4月28日の都の大火の経験によるところが大きかったのであろう。かくして、「栖はすなはち浄名居士の跡をけがせりといへども……」と語っているように、方丈を居室とした浄名居士すなわち維摩のひそみに倣おうとしたのである。

このように『方丈記』において用いられている「方丈」なる言葉が喚起するイメージは簡素な居室であり、それはまた維摩の故事に倣って禅林の住持の居室を意味することともなった。

ところが、それとはまったく反対に、「方丈」は豪勢極まりない食膳を意味する言葉でもあったのであり、そのような言葉で用いられるのがむしろ本来であったかに思われる。例えば孟子は、「食は前に方丈なるとも(1丈四方のごちそうが前に並べられたとて)」、そんなものはわが志の欲するところではないと語っている(『孟子』尽心篇)。また4世紀の葛洪は、およそ国君たる者、食事に事欠く民が一人でもいるならば、「方丈の膳に臨むことを●じる」べきだと戒めているのだが(『抱朴子』君道篇)、国君同然の存在であった清朝の西太后の日々の食膳は、それこそ方丈と呼ぶのがふさわしいほどに豪勢なものであったという。

方丈とは1丈四方のことなのだから当然のこと、と言ってしまえばそれまでだが、同じ一つの言葉が、このように簡素と豪勢とまったく相反する両様のイメージを喚起したのは興味深いことである。

●=女+鬼