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「変わる」ことを迫る国会事故調の報告書

2012年7月19日付 中外日報(社説)

昭和初期、日本人で初めて米国・イェール大教授になった福島出身の朝河貫一は著書『日本の禍機』で日露戦争後の日本の中国への膨張政策を改めないと日米開戦は不可避と警告した人だ。歴史は警告通りになったが、そのエピソードが東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)の報告書序文に出てくる。国の在り方を根本から変えないと『日本の禍機』の警告を無駄にした苦い過去を繰り返すという文意である。

今回の原発事故を「人災」と決め付けた報告書の要約版(100ページ)と本編(641ページ)はネット上で閲覧できるが、事業者の東電と規制当局の無責任ぶりは目に余る。例えば報告書は原発の危機管理に関し「東電は過酷事故によって、周辺住民の健康等に被害を与えること自体をリスクとして捉えるのではなく、過酷事故対策を立てるに当たって既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることを経営上のリスクとして捉えていた」という。分かりやすく言えば、原発に新たなリスク要因が発生した場合、隠ぺいするか何も対策を取らないことによる経営上の利益を住民の命や健康より優先していたということだ。そんな文章が随所に出てくる。これでは「人災」というより「犯罪」というべきではないか、と思うほどだ。

序文は国会事故調の黒川清委員長(元日本学術会議会長)が自ら執筆したそうだ。2ページ分の文章だが、世界史に残る巨大な「人災」を許してしまった遠因に私たち自身も加え、一人一人に自己検証を迫っている。

その真意は序文の英語版でより明確になる。海外での報道によると、英語版序文は日本人の反射的な従属性、権威に問い掛けをしたがらない気質や集団主義、偏狭性などを挙げ、原発事故は日本文化に根付いた慣習によってもたらされた「日本製」の災害だったと述べているという。日本語版序文にこの表現はなく、もとより日本のマスメディアにそうした視点からの報道は乏しかった。

報告書の指摘が妥当かどうか、議論が必要だが、ただ、原発への依存が社会の民主的仕組みをゆがめ、それが大事故の呼び水になった事実は否みようがなかろう。

冒頭に紹介した朝河は、日露戦争に勝利して慢心した日本は国際社会の理解が得られる国に変わらなければ破局を迎えると警鐘を鳴らした。福島の事故は、原発を推進する諸組織が慢心によって「変われなかった」ため起きてしまったと報告書は言う。私たちも無関係でおれないことは確かである。