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未来に関する判断と政策を公約する責任

2012年7月12日付 中外日報(社説)

ニュートンが古典力学を完成した時、人々は、世界の事象は必然的因果で連結されているのだから、初期条件が完全に分かれば事象の成り行きも完全に予測可能だと考えた。しかし現在では違っている。量子力学の不確定性原理の話ではなく、もっと一般的なことである。多少とも自律性のある多数の個体同士が互いに作用し影響し合っているところでは、個体と全体の運動は極めて複雑になり、成り行きを正確に予測するのは原理的に不可能だという問題だ。

ではそこに現れるのはカオスかといえば、そうでもない。自然に秩序ができる「自己組織」もあり得るというのだから、予想は余計困難である。いずれにせよ初期条件における小さな違いが、結果においては大きな違いをもたらすという。身近な例では気象がそうで、だから予想は確率でしかできないし、しかも今日明日の予想ならほぼ的中するけれども、先のことほど確言できなくなる。

イヌやネコにはかなりの自律性・自発性があるから、同じ働き掛けに対していつも同じ反応をするとは限らない。他方、人間は一般に通念に従うものだし、さまざまな約束事や規則で縛られているから、反応は全く予測できないわけではないが、かといって確実に予測できるものではない。それは誰でもが経験している通りである。

そもそも利害相反するこれだけたくさんの人がいて、複雑な相互行為を営みながら連動している。また誰がどこで何を始めるか分からず、それがいかなる結果を生むかも見えない。このような状況では予測は当たらない、むしろできないと考えるのが当然である。まして世の成り行きを予測しながら人々の意志と行動を特定の方向に導くこと、つまり政策を立案し所期の結果を得るのは極めて困難である。

事実、西欧では信用不安が発生して対策を講じる諸国の足並みがそろわず、EUも不動ではないようだ。わが国の民主党政権は公約を実行する能力がないことが明らかになってきている。

選挙においてはマニフェストで公約を掲げ、政策論争で民意を問うのが合理的だとされているし、それは実際望ましい。しかし、公約を果たすことがなかなか困難なのに、票集めのために無責任な約束をしたこと自体、原理的に間違っていたのではないか。

政治と違って宗教は本来、公約とは縁が遠い。例えば、イエスは、世界はその一部といえども思うように動かせるものではないから、決して誓うなと教えている。