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改正臓器移植法の倫理問題は未解決

2012年7月7日付 中外日報(社説)

6月14日、富山大学付属病院に入院していた6歳未満の男児が脳死と判定され、その後、複数の臓器の摘出と移植が行われた。報道では男児の両親は「息子が誰かの身体の一部になって生きてくれるのではないか。このようなことを成し遂げる息子を誇りに思う」と語ったという。

両親の悲しみと善意、そして何とか子どものいのちに未来を与えたいとの思いに共感した市民は多かったかもしれない。臓器移植を受け、回復が期待される側の人々の喜びにも思いを寄せたい。

だが、小さな子どもの臓器移植に複雑な思いを持ち、にわかに喜べないと考える人がいることも確かだ。移植を受ける人や、ドナーとなった子どもの両親を批判しようとするものでは毛頭ない。だが、改正臓器移植法に内在している困難についてあらためて考え直しておきたい。

報道では、男児が生前に臓器移植を拒否していなかったことを、家族の証言や健康保険証の記載などで確認したとのことだ。この一節が腑に落ちないと感じた人は少なくないだろう。そもそも6歳未満の子どもに脳死による臓器移植の是非についての判断ができるだろうか。家族の証言や健康保険証の記載は、子ども自身の意思について何を伝えることができるのだろうか。

また、子どもが虐待された場合は臓器提供ができないが、「病院が警察や児童相談所に連絡、虐待がないこと」が移植ネットによって確認されたとも報道されている。この記述の意義も読者には伝わりにくいのではないか。なぜ警察、児童相談所や「虐待」だけがそれほどに重要なのだろうか。

一般論として、親が子どもを心から愛していたのかどうか、例えば親が子どもに悪意を持つようなことがなかったかどうかが懸念されているのではないか。だとすれば、警察や児童相談所への問い合わせだけで十分なのだろうか。そもそも子どもの身体に医学的措置(侵襲)を加えるのを親が認めることに伴う重い問題だ。

旧臓器移植法は、平成2年から2年間かけて脳死臨調での密度の濃い審議を経て、9年に施行された。ところが、22年に施行された改正臓器移植法は、海外での臓器移植が困難になるという事態を受け、脳死臓器移植をめぐる倫理問題については必ずしも明るいとはいえない国会議員の自由投票で定められた。このたびの移植で少なからぬ市民が抱いた釈然としない思いには、このような制定経緯の不透明さも反映している。