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過去の話とはいえぬ「人類館事件」の教訓

2012年5月29日付 中外日報(社説)

沖縄の本土復帰から40年がたったが、本土住民の沖縄に対する認識は、20世紀初頭の「人類館事件」当時とあまり変わらないのではないか。そんな疑問さえ湧いてくる。沖縄が日本の一部という同胞意識の希薄さを深く危惧する。

「人類館事件」は明治36年、大阪・天王寺での第5回内国勧業博覧会で起こった。民間パビリオンの「学術人類館」で琉球女性とアイヌ、朝鮮人、台湾先住民やアジア諸国の人々が生身で「展示」され、民衆の好奇の目にさらされた。人類学的なものとされたが、実態は見せ物であり外交問題化した。沖縄も抗議し、琉球女性の「展示」は取りやめになった。

日露戦争開戦の前年で、同博覧会は国力誇示のため政府の威信をかけた事業だった。事件は急速な近代化で生じたアジア諸国への優越感と共に、沖縄に対する本土住民の差別意識を象徴する出来事でもあった。

もう110年も前の埋もれた史実を思い浮かべたのは、5月の本土復帰40年にちなみ複数の全国紙がそれぞれ沖縄の地元紙と協力して行った世論調査結果による。

そのうちM紙によると、在日米軍基地の7割以上が沖縄に集中していることについて「不平等」との回答が全国では3割強、沖縄県民だけだと倍以上の約7割に上る。A紙も同様の結果で、沖縄県民の半数は沖縄の米軍基地が減らないのは本土による沖縄差別と考え、本土住民は逆に約6割が差別とは思わないと答えている。

この調査で浮かび上がるのは、沖縄を日本と切り離して考えているかのような本土住民の身勝手さである。沖縄の米軍の「抑止力」に無批判に依存しつつ、それに伴う痛みは分かち合おうとしない。要因の一つはマスコミの報道姿勢にもあるのだろう。沖縄の地元紙からA紙に人事交流で派遣された女性記者は、基地の縮小を願う沖縄県民の心が通じない全国紙記者への不満を先日のA紙コラムに書いていたが、筆者も共感する。

そうした本土の沖縄観に関し、かつて「人類館事件」で沖縄が掲げた抗議の理由が問題だったという声が沖縄側から上がっている。沖縄人は日本国民なのに他民族と同様に「展示」されたのが心外と当時は考えた。それが本土への過度の同化政策につながり、先の大戦での沖縄戦の悲劇を招いた――との反省に基づく。沖縄は今も裏切られている。その意味で「人類館事件」は過去の問題ではない。もはや自立の道を探りたい、という。本土住民も自己の問題として耳を傾けるべき話である。