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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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人々の物語忘れない 寄り添う報道とは

2012年4月5日付 中外日報(社説)

「料理が好きで、毎週金曜日に『じいちゃんカレー』を家族のために作り、地震の時も調理中だった。町内会長も務めた」(陸前高田市・Mさん・81歳)

8ページにもわたって、東日本大震災で犠牲になった多くの人々の一人一人の顔写真と、100字前後の紹介文が掲載されている。岩手県の地元紙『岩手日報』の震災1周年を機にした企画「忘れないあの人を思う」だ。

「被災された皆さんは、震災・津波の記憶、亡くなった方々、そして生き残った自分たちのことも忘れないでほしい、との思いが切実です。新聞社としてそれに応え、一人一人が生きた証しを追悼するのが使命です」と、担当の同社編集局次長は言う。

長期連載で同県の死者・不明者計6600人余りに迫るのが目標だ。スポーツマンだった40代男性、手芸が得意な50代主婦。優しい父親で、11月にようやく遺体が発見され、3歳の長男が「パパは箱に入って帰って来た」と別れを受け止めようとしたという会社員は、とびきりの笑顔の写真だ。決して数字には表れない、それぞれの掛け替えのない物語が伝わる。

同様に被災地で手にした『復興釜石新聞』は、週3回6ページ建てながら、釜石市内のいろんな催しや動き、暮らしに役立つ情報や話題に加え、多彩な立場の住民の「希望のメッセージ」が掲載されている。カラフルな紙面で求人案内や商店などの広告もある。

同市にあった岩手東海新聞社は津波で記者2人が死亡、輪転機が水没して発行停止に追い込まれた。残った記者たちを雇用し、同市が広報事業を委託したのが同紙だが、決して単なる官製メディアには傾かず、「負げねぞ釜石!」のロゴが力強い。

空前の災害で報道の本質も問われた。被災しながら手書きで発信し続けた「石巻日日新聞」。記者たちの記録「河北新報のいちばん長い日」は圧巻だ。岩手日報は運動部などや内陸地域の記者もフル動員して取材に当たり、証言を聞きに遠方まで出向いた。

高齢なのに写真が若いケースも多い。津波で全て失いそれしか残っていない現実がうかがえ、同時に「何とか伝えたい」との取材者の寄り添う思いも見える。

「顔写真を入手する取材は、まさにその方の人となりに接することです」。局次長のその言葉と同じことを、筆者は駆け出し記者時代に教えられた。そして、阪神・淡路大震災の現場で同様の取材を数多く経験した。4月6日から「春の新聞週間」が始まる。