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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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若い僧侶らにもっと宗門で活躍する場を

2012年4月3日付 中外日報(社説)

経済の大きな変化が、世界各国の政治を激しく揺るがしている。グローバル化が進む中、日本の国内でもそれに密接に連動した動きがある。「一波は万波を呼ぶ」という言葉が身近に感じられる昨今である。

千数百年の歴史を通じ数々の苦難に直面した日本仏教にとっても今は極めて重大な転換期だ。明治維新、第2次世界大戦敗戦などに伴う政治体制の変化はそのまま宗教界にも響いた。現代はそれに並びあるいは上回る社会構造や政治の変化が日々進んでいる。「50年後に、このような形で遠諱を行うことができるのか」「30年後に果たして、宗門が現在のような姿で存続しているか」という問いは深刻さを帯びてきた。

宗門に長く身を置く者の立場で顧みると、戦後の復興、バブル経済は仏教界にも経済的のみならず精神的にもはっきりした影響を残した。好景気の恩恵をそれなりに享受した後、宗教界はあまり自慢できないような姿勢で、バブル崩壊後の「失われた10年(または20年)」の苦しみを応分に社会と共有してきた。

しかし、これは宗教界のインサイダーの欲目かもしれないが、多くの宗教者に対して感じた「受け身」の姿勢は少しずつ変わってきた。「30年後はどうなっているか?」は、若い僧侶にとって、おのれの明日、いや今のこの瞬間のあり方を正面から問われることを意味する。そのことを強く意識する若者はまだ少数でも確実に増えてきた、と思う。

3・11の東日本大震災でさまざまな教派、宗派の有志が多数、ボランティア活動に参加した。被災地に宗教者の存在感が薄い、と評する意見もあった。その見方はとらないが、それぞれの視座によって評価が異なるのは仕方がないだろう。

ただ、総体的に、宗派の組織的対応より、被災地での個々の宗教者たちの活動の方が頼もしく見える、ということは言える。経験を重ねる中で、宗門よりさらに一歩も二歩も先を進み始めた若い僧侶の姿が目立ち始めた。そのことの意味を宗門は考えるべきだ。

宗門がいかにあるべきかについてはさまざまな意見がある。だが伝統仏教教団も日本社会全体という視点、世界的視座からの対応が求められる時代である。進むべき航路を把握して、宗門という大きな船を動かす自覚を持った人材の確保が何より大切だ。こうした人材が活動できる場を積極的に宗門の中に設ける配慮がさらに望まれる。