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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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納得できる「別れ」 葬送の意義見直す

2012年3月6日付 中外日報(社説)

継承者がいなくても桜をシンボルとする墓地でずっと供養する「桜葬」が関西に進出する。運営する東京のNPOエンディングセンターが先に開いたフォーラムでは、樹木葬や自然葬という形式を論じる根底にある問題として、葬送や墓が亡き人を媒介に人と人との縁や絆、関係性を再構築する場であることが改めて確認された。

年来の「無縁社会」論議、直葬の広がり、「葬式無用論」を経て、東日本大震災以降、葬送の意義の見直しが進んでいる。

被災地でも、桜を故人の供養に植える動きがあるという。また葬儀・葬式は、絶望的な悲しみの中で、遺族の心の癒やし、区切りになったという声を数多く聞いた。思いきり泣くこと、あるいは儀礼を通して逝った人を粛々と偲ぶことによって、心ゆくまで「お別れ」ができたということだろう。

葬送や終末期に関するドラマがヒットしている。昨年話題になった映画「エンディングノート」は、化学メーカーの猛烈社員だった69歳の男性ががんに侵され、最期の日々を自分でアレンジする実際の姿を記録した作品だった。

「段取り魔」と言われユーモア人だった男性は「これが人生最後のプロジェクト」と、葬儀の次第や、「孫と気合を入れて遊ぶ」など旅立つまでにすべきことをパソコンで列挙し、次々とこなしてゆく。「気持が安らぐから」と葬式場に選んだカトリック教会で洗礼を受ける。「私は仏教徒なのですが」との問いに神父は「突き詰めれば同じです」と答える。

「僕の葬儀で分からないことがあったら携帯に電話して」。死を前に「どこへ行くの?」と尋ねる家族に「それはちょっと、教えられないなあ」とほほ笑む男性。いさかいも多かった妻に「ありがとう」とかすれ声で言うシーン、まるで本人が笑顔で参列しているかのような葬儀の場面を見ても、カメラのこちら側でファインダーをのぞく、主人公の次女である監督の心からの納得が伝わってきた。

大分で桜葬を運営する寺の住職は「目新しいことをしているのではなく、皆さんが得心できる供養ができればいいのです」と語る。

年間百十数万人の死者のうち、災害を含めた不慮の事故死は毎年3%台で老衰死とほぼ同割合だが、震災で大きく様変わりする。

だが、そのような統計数値ではなく、亡くなった人一人一人に、その関係者に、それぞれの「物語」がある。それにふさわしい「結び」を想定し、できれば準備しておくことは、故人にも遺族にも意義のあることだ。