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情報社会の落とし穴 文字が苦手な子供ら

2012年2月25日付 中外日報(社説)

最近、知能は普通あるいはそれ以上なのに、読むことが不得手で嫌いな子供がいるように思う。正確な統計に基づいているわけではないが、それほど見当違いの印象ではあるまい。

そもそも読んだり聞いたりして「分かる」ということは、基本的にはまず読んだり聞いたりした言葉(記号)をイメージに転換できるということ、次にそのイメージが当人のイメージ世界に矛盾や軋轢なしに収まるということである。むろん抽象的な言語はイメージ化できないから、「分かる」とはこの場合は言葉の意味連関がたどれるということだ。しかしコミュニケーションの基本は言葉とイメージの相互変換である。それができないと実際コミュニケーションに齟齬が生じるのである。

読んだり聞いたりした言葉をイメージに変換するためには、やはり訓練が必要である。訓練の必要性は言語能力の発達一般についていえることだ。例えば楽譜を正確かつ容易に読める人はあまり多くないが、これは多くの人が歌なり曲なりを、つまり音楽を、初めから音として聞き音として覚えるからで、普通は楽譜を音に、音を楽譜に変換する必要もないし高度の訓練も受けないからである。

メディアといえば主としてラジオと新聞と本しかなかった(映画はあったが)戦前とは大違いで、今はテレビやデジカメのような情報機器が大変な発達を遂げているから、子供たちは情報を初めからイメージとして授受してしまう。メールでも写真や絵文字が多用されるのである。コミュニケーションにもっぱら文字と音声が用いられていた昔とは違って、言葉をイメージに、イメージを言葉に変換する必要がない。だから楽譜を読むのが不得手な人が少なくないように、現在の子供は文字を読むことが不得手になるのではないだろうか。

楽譜は読めるに越したことはないが、読めなくても普通の社会生活に支障はない。しかし読み書きが不得手だということは、文字文化が高度に発達している現代社会において大きな不利益になることは言うまでもない。正確な概念を豊富に使って文字で高度なコミュニケーションが営まれることは、現代のみならず未来でも変わらないだろう。

以前のように幼児に民話を語ったり、本を読んで聞かせるのも訓練になるかもしれない。直接の経験が減って間接経験が圧倒的となっていることもそうだが、現代の情報社会には実に多くの落とし穴があるものだ。