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新調の羽織はかまで県知事を迎えた時代

2012年2月23日付 中外日報(社説)

大正のころであったと聞く。筆者の郷里、高知県西部の漁村で、世話役たちがそろって羽織はかまを新調した。地方視察の県知事を出迎えるためである。当時の知事は公選制でなくて、政府任命の官選知事だった。

視察といっても、村までは来ない。隣村の峠から見下ろすだけである。峠から村までの道は細くて険しく"知事閣下"を歩かせるわけにはいかない。村の代表が峠へ出向き、知事に挨拶する。そのための衣服新調だった。

それほど権威のあった知事の座が、昭和に入ると、微妙に変化した。衆議院で政友会と民政党の二大政党が争い、時の与党が官僚・知事の人事を左右する。知事が交代させられると、村々の駐在巡査まで配置転換が行われた。

ある年の総選挙の後、村の世話役が芋づる式に検挙された。野党に転落した党の候補者を応援したため、勝った党の差し金で選挙違反に問われたのだ。

一審の高知地裁は有罪。二審の大阪控訴院(大阪高裁)での審理中に、また解散・総選挙があり、与野党が入れ替わった。すると法廷の空気も一変して、全員無罪となった。政治が司法を動かしたのだろうか。

当時は、世界恐慌の影響で、国民生活はどん底状態にあった。大学は出たけれど就職口がないとの嘆きの声。それでも二つの政党は党利党略の不毛の争いを続けた。揚げ句の果て、政党政治は国民の信頼を失い、軍部の進出で戦争への道を歩み始める。

翻って平成の現在、民主党の伸長で、久しぶりに二大政党の時代が開かれたと思われた。しかし早々に東日本大震災が発生する。与党は不慣れで及び腰、原発事故問題の処理でもたつく。野党となったかつての与党は、自分たちの長年の原子力行政の失敗を反省するどころか、いたずらに現内閣の不手際を責め立てる。その論戦には、新約聖書で建前論を振りかざすファリサイ(パリサイ)派の論法を連想したくなる。宮沢喜一内閣以後、孔子や孟子など儒教の言葉を引用できる政治家が少なくなったとの声も聞く。

白け切った国民にとって、石原新党や大阪維新の会の動きが、昭和初年同様の閉塞感を打破することになるのか。それとも既成政党が結党の原点に立ち返るのを期待すべきか。待ったを許さない政治課題が山積みだ。

その昔、羽織はかま姿で峠に出向き、時の県知事に挨拶した時代の方がまだしも幸せだった、などということにならぬように……。