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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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他者へのまなざしを 「誰でも」はあなたも

2012年2月9日付 中外日報(社説)

3月11日は東日本大震災の一周忌。その前日は、詩人金子みすゞの82回目の命日に当たる。教科書にも載る「みんなちがって、みんないい」が有名だ。その作品に見られる仏教の心をテーマにした先日の講演会が盛況だった。

「朝焼小焼だ大漁だ大羽鰮の大漁だ浜は祭りのようだけど海のなかでは何万の鰮のとむらいするだろう」

この「大漁」に集約される、弱きを含めたあらゆる「いのち」に向けられた眼差しは、仏の慈悲と通底する。しかもそこに気負いはなく、「みすゞは自分の日常で感じたことを詠んだ」と上山大峻・龍谷大名誉教授は強調した。そこから論議は「思いやり」に及ぶ。あの震災後に、テレビで何度も流れた彼女の作品が人々の心を捉えたのは記憶に新しい。

「『遊ぼう』っていうと、『遊ぼう』っていう。………『もう遊ばない』っていうと、『遊ばない』っていう。そうして、あとでさみしくなって、『ごめんね』っていうと、『ごめんね』っていう。こだまでしょうか、いいえ、だれでも」

だが「絆の復活」が取り沙汰される一方で、格差による貧困や「いのち」が危機にさらされる社会の問題は残されたままだ。「別に君でなくても『誰でも』いい」と派遣切りで「わたしの生きる意味」が否定される。「自己責任」の言葉において突き放される。孤独に追い込まれ自ら死を選ぶか、社会に「復讐」しようと暴走するかは究極的に裏腹の関係にある。

無差別殺人を起こした者が、自暴自棄になり「誰でもよかった」と口走る、最悪の形での他人との関係性。そのことと、引き続き年間3万人にも上る自死者が最後に絶望のふちで「誰でもいいから助けて」と叫びたい気持になる、両者の根底にある問題は共通する、と被災地や野宿者支援を続ける奥田知志・日本バプテスト連盟牧師は言う。社会での制度的・人的セーフティーネットの欠如だ。

「だから、そこにいる誰でもいいから、誰にでもいいから手を差し伸べなければならないのです」。その「誰でも」は全ての人、そして「私」であり「あなた」だ。

みすゞは、家庭崩壊、病苦と最愛の娘との仲を裂かれた苦悩から26歳で自ら命を絶った。だが、熱心な仏教者だったその眼差しは、全てに向けられている。

「上の雪さむかろなつめたい月がさしていて下の雪重かろな何百人ものせていて中の雪さみしかろな空も地面もみえないで」(「積もった雪」)