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弱い立場のいのちと生殖補助医療の問題

2012年2月4日付 中外日報(社説)

子どもを産めなかったカップルが子どもを産めるようになるための生殖補助医療を、どこまで認めてよいかが論議されている。

野田聖子衆議院議員はアメリカで卵子提供を受けたが、重い病気や障害を負った男児が生まれた。長期にわたり入院が続き、手術に続く手術だが何とか育とうとする男児がテレビ画面に映し出された(フジテレビ金曜プレステージ、1月20日放送)。苦闘する母子の姿に感銘を受け、子どもが元気で育ってほしいと強く願う気持になった視聴者は少なくなかっただろう。

だが、他方、「母親になりたい」との願いから高齢で子どもを産んだこと、親の意思で苦しむわが子をテレビに映し出すよう求めたこと、そうした親子を「懸命に生きるある親子の絆をお届けする」として、テレビ報道することが妥当だったかどうか、疑問を投げ掛ける人も多い。

そもそも卵子提供や代理出産をどこまで許容できるのか、国が日本学術会議に討議を依頼し、報告を受けたものの、そこから先へは進んでいない。

卵子提供は提供する側の心身に大きな負担を課す。それでも協力するという場合、卵子提供をする側が経済的見返りを求めて危険を冒す可能性が高くなることを否定できない。また、野田議員の例で見られたように、生まれてくる子どもの健康という点でもリスクが高いことが予想される。さらに生まれた子どもが卵子提供を受けたことを知ったときの苦悩についても、まだ予想できる状況ではない。

それでも卵子提供を許容しようという人たちは、「母親になりたい」「子どもが欲しい」という女性やカップルの願いに共感し、それを尊重すべきだという立場に立つ。だが、卵子を提供する女性の心身にかかる負担が軽んじられていないか。また、生まれてくる子どもの福利についても十分に考慮されているだろうか。

問題は卵子提供を受ける女性の意思やこれから生まれてくる子どもの福利を反映するのが難しいことだ。生命倫理の問題を解決する際、当事者の自己決定が重んじられることが多いが、この場合、適切な自己決定をすることができない当事者に大きな影響が及ぶことを避けることができないのだ。

卵子提供による出産の場合、結局卵子提供者や子どもという弱い立場のいのちが軽んじられていることにならないか。宗教者が問い直すべき重い課題がここにもある。