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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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地域社会の絆紡いで 新しい命に寄り添う

2012年1月3日付 中外日報(社説)

少子化は高齢化と表裏の関係で深まり、社会のひずみが激化する一方だ。年金不安はじめ社会保障の財源難、福祉の後退懸念などで増税は不可避のごとくである。大震災の復興にも響くようだが、宗教界も無縁ではあり得ない。少子化は葬儀や祭祀の担い手不足を招き、人々の意識の変化と相まっていずれ寺院の経営が立ち行かなくなるという声を聞く。

「子宝」という言葉があった。人の誕生の数だけ希望を生んだ。それが今、怪しい。児童虐待や原発事故の避難者が子を抱えてさまよう姿は、命軽視の世相の凝縮と映る。社会と無関係に宗教は存在し得ないなら、宗教者はこの事態と真剣に向き合わざるを得ない。

「会社勤めの娘が出産し、保育所のことを聴こうと区役所の公民協働の係を訪ねたら印刷物をくれただけ。様々な事情を抱える若い夫婦が満足できる対応を行政に求めるのは無理なのか」

先日、全国的に注目された市長選のあった市の社会福祉協議会の広報紙12月号に、そんな趣旨のコラムが掲載されていた。

愛娘の職場では育児休暇を取ると同僚に迷惑を掛け、第2子出産時には産休も取りにくくなる。何とかして保育所に頼りたい。少子化は市の呼び掛ける公民協働の最重要な政策課題のはず。それなのに対応はおざなりだ。――コラム子の困惑に、孤立する老親と若い親の姿が重なって見える。

少子化の原因とそれに伴う諸問題、対策は語り尽くされている。だが、出生率はいつまでも低く、若年層と高齢者の世界で最も不均衡な人口構成が改まる見通しもない。前記のコラムは社会進出した女性の雇用関係の危うさや子育ての負担、保育所不足など行政の遅れを示すものだが、それだけではない。出産は個人の選択で一概に是非を論じるのは禁物とはいうものの、問題の根源は結局、安心して子を産める社会環境が築かれていないということだろう。

一つ興味深いヒントがある。出生率を地域別で見ると高い方から30番目までのほぼ全てを鹿児島、沖縄両県の自治体、特に離島の市町村が占め、率は国平均より相当高い。子は「授かりもの」として、共に支え合う伝統的な共同体意識が息づいているようだ。

仏教界に引き付けて考えてみたい。死者の弔いはもとより大事なことだが古来、寺院は地域の核だった。地域の絆を紡いで新しい命に寄り添い、諸々の「苦」を減じる。そんな働きがもっとあってもいいのではないか。暗雲漂う世に一点の光明をともすに違いない。