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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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ユーロ危機に思うローマ教皇の言葉

2011年12月10日付 中外日報(社説)

1980年代のころ、古都プラハを訪れようとする観光客が、当時の西独からチェコスロバキアに入国するには、国境で厳重な旅券審査を受けねばならなかった。共産圏に属していたチェコは、観光客の迷惑は考えない。

全員、バスから下車するよう命じて、手荷物の検査もする。ツアー客は木陰もない国道脇の空き地で長時間、待たされる。西側の観光客は、これが東欧の張り巡らせた=鉄のカーテン=だと思い知らされた。

その=鉄のカーテン=体制は、あっけなく崩壊した。1989年夏にまずポーランド、続いてハンガリーに共産色のない政権が樹立された。その年のうちにあの=ベルリンの壁=が取り壊された。2年後の1991年には、共産主義の本丸だったソビエト連邦が解体に追い込まれた。

一連の東欧革命をリードしたのは、ポーランドだった。民主的色彩の濃い労働組織「連帯」の存在もあったが、1978年に同国出身のカロル・ヴォイティワ枢機卿がローマ教皇ヨハネ・パウロ2世となっていた影響も見逃せない。ポーランドは国民の98%がカトリック教徒である。同国から初めて教皇を輩出した喜びが、西側への傾斜を加速した。

ソ連が崩壊した時、ヨハネ・パウロ2世は言った。「東欧の共産主義は消滅した。しかしこれは、資本主義が共産主義に勝ったわけではない。そのことをよく認識すべきだ」と。

その言葉にもかかわらず、西側の経済は繁栄を謳歌しているかに見えた。1993年、統一ドイツを中心にEU(欧州連合)が発足した。域内の移動に、かつてのチェコ国境のような旅券審査は不要となり、それが経済活動の活発化を促した。2002年に創設された共通通貨ユーロの交換レートは、ドルを超えた。

だがそのユーロは、創設10年目の今年、大きくつまずいた。ギリシャをはじめ数カ国の放漫財政のため、ユーロの信用に赤信号がともされた。米国のドルも、リーマン・ショック以後改善の兆しが見えず、日本の円も国家財政の綱渡り状態が続く。資本主義が袋小路に迷い込んだ現状を、今は亡きヨハネ・パウロ2世が見たら何と評価するだろうか。

加えて日本では、一部企業の経営者に道徳観の欠如した現象が見られる。外国人取締役が一瞬で見破った粉飾決算を、長年にわたって放置していた例もある。教皇のような冷徹な目と指導性を、日本の宗教者にも期待したい。