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民に利器多くして国家いよいよ昏し

2011年11月26日付 中外日報(社説)

3月11日は、われわれにとって決して忘れることのできない日となった。東日本を襲った未曾有の巨大地震と大津波。それによって引き起こされた東京電力福島第1原子力発電所の事故。

数年前、常磐線の列車の車窓から遠望したことのある福島原発の建造物。それが今や、新聞写真やテレビの映像によって、無残にも崩れ落ちたその痛々しい姿がいや応なく毎日のごとくに眼前に突き付けられる。近代科学文明の倨傲をあざ笑うかのように、自然の猛威はそれを打ち砕いてしまったのだ。

自然を克服しようとする人間に対してのしっぺ返しなのであろうか。今回の事故によって、そもそも自然界には存在しない物質まで空中に放出されたと聞けば、素人ながらもそのようにまで思わざるを得ない。

ここで想起するのは、人智のさかしらに痛棒を食らわす『老子』57章の言葉である。

――民に利器多くして国家滋いよ昏し。人に伎巧多くして奇物滋いよ起こる。

福永光司氏の翻訳に従えば、その意味するところは次のごとくである。

「人民に文明の利器が普及すると、国家はいよいよ昏乱する。人民に技巧が発達すると、奇をてらった品物がどしどし作られる」

地上には自動車や高速鉄道が疾駆し、天上には飛行機が飛び、地球の周りを人工衛星が周回する現代。誰しもが、なにがしかそれらの恩恵にあずかっていることを否定するわけではない。

老子が描くところの理想社会とは、

「什伯の器有れども用いざらしめ(さまざまの文明の利器があっても使用させないようにし)」

「隣国相い望み、鶏犬の声相い聞こゆるも、民は老死に至るまで相い往来せず(隣国がすぐ近くに望まれ、鶏や犬の鳴き声が聞こえてくるほどであっても、人民は年老いて死ぬまで互いに往来することはない)」(80章)

――というようなものであった。

それは、当の老子にとってすら、すでに脳裏に描かれるだけの理想社会でしかなかったのであり、ましてや現代社会に身を置くわれわれにとっては、望むべくもない夢のまた夢にしかすぎぬものである。

だが、たとえそうではあるにしても、『老子』の言葉は、「以て大に喩う可き」もの、すなわち極度に肥大化した近代科学文明に対する警鐘となり得るのではあるまいか。