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増大する情報量と価値や真偽の判断

2011年11月5日付 中外日報(社説)

近代化とは何か。大局的に見れば経済では産業化、政治では民主化、社会的には大都市化、対外的には国際化ということであろう。ところでこれら全てに共通することの一つは情報化の進歩と情報量の増大ということである。

経済部門での近代化は動力の発明から始まった。まずは蒸気機関、それから内燃機関、次いで電力と原子力だが、電力の利用は情報革命を起こすのである。電信、電話、ラジオは戦前からあったが、戦後はテレビ、パソコン、さらに携帯電話の普及でコミュニケーションの状況は一変した。新聞をはじめ通信・出版技術の進歩は言うまでもない。

それに比べれば世界の民主化は遅れている。しかしやや楽観的な一般論としていえば、生活が豊かになり教育水準が上がればいずれ民主化は促進されるもので、近代化の過程で現れた全体主義や独裁制は永続しなかったし、おそらくは過去のものとなるだろう。

ところで民主化は情報の公開と自由な伝達を要求するものだ。都市化は紀元前数世紀、ないしそれ以前から始まってはいるが、巨大都市と大都市圏の出現はやはり近代のことで、大都市は交通と情報手段の発達を必要とする。最後に国際化は世界の趨勢だが、まずは国際的コミュニケーションから始まるものである。

ただ、急速な情報化に生活が追いついてゆけない事情がある。一つは情報自体が正しいか、また正しく伝わるかという問題である。情報量の増大と比べてこの面での検証手段ははるかに遅れている。ほとんど野放しだ。

情報の捏造、一般に嘘をつき通すことは結構知力、労力また注意力を要するもので、大変な上に危険だから、嘘は案外少ないのだが、だからといって情報がどこまで正しいかは、情報同士を比較し常識と照らし合わせて見当をつけるほかはなく、正確には分からないのが普通である。

人生の半分は仮定で4分の3は嘘だという警句をご存じだろうか。lifeという語は四つの文字から成るが、半分の2文字はif、3文字はlieだというたわいのない話なのだが、悪い冗談だと笑い飛ばすことができなくなっているような気がする。

宗教は元来言語化(情報化)されない「直接経験」に基づくものだ。直接経験を押さえているか否かで情報への態度は大きく違ってくる。しかし多くの宗教は教説と生活規範という「情報」に変質しているのではないか。自己検証が必要だろう。