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"話者"では責任を果たせぬ報道記者

2011年10月20日付 中外日報(社説)

「新聞"話者"」という俗語がある。記者クラブなどで仕込んだ裏話を職場の同僚に得々と語る。話は興味深い。だが、一向に記事にならない。飛躍するようだが、実は"話者"と記者は仏教でいえば解脱前、解脱後ほど違う。単なる話を記事にするには、よほど詰めた裏付け取材が要る。昨今、その"話者"が増えてはいないか。

マスコミの編集幹部と有名企業の広報担当者らの定例の親睦会に過日、マスコミOBの立場で参加した。講演と昼食会で、大阪のホテルの宴会場に8人掛けくらいの丸テーブルが並ぶ。演題が東日本大震災でテーブルの話題はやがて原発事故に。だが、一つ気になることがあった。

「原子炉本体の爆発を回避できたのは、まさに奇跡というような怖い後日談が何年か後に出てくるのでは」という話にテーブルを囲む何人かがうなずく。政府や東電の情報開示への憤まんから出たことは前後の会話で分かる。筆者も同様の感想を持ちつつも、人ごとを語るような口調に違和感を催した。記者は評論家ではない。

ある世論調査では今回の事故でNHK以外の新聞など他メディアの信頼感が軒並み低下している。マスコミ研究者は「原発に関して国民の当局不信が極まっているのに報道の主流は当局発表に依存する"発表ジャーナリズム"の域を出ない」と言う。事故の収束半ばで政・財・官界が他の原発再稼働を急ぎ、事故の幕引きを視野に入れ始めた感もある中「(マスコミではなく)市民が目を離すと日本は次の原発事故への道を歩み始める」という論評もある。マスコミ人は危機感を持つべきだろう。

事故から7カ月が過ぎ、メディアの検証報道で震災の人災的側面が少しずつ見えてきた。総じて言うと中央省庁を頂点とする硬直したシステムが陰に陽に災いを助長してきたということではないか。自省を込めて言えば、阪神・淡路大震災でも同じようなことが起こり、マスメディアはその点において突っ込みが甘かった。世の仕組みがなかなか変わらないことについて、ニューヨーク・タイムズ東京支局長は「日本のメディアは官僚の側に立っていることが多い」などと決め付けている(日本新聞協会『新聞研究』8月号)が、納得のいく反論が難しい。

夏目漱石の『吾輩は猫である』に、役人は人民の召使なのに権力を笠に着て人民はくちばしを入れる理由がないと言い始める、という趣旨のくだりがある。今の記者が冒頭述べたようなことなら、漱石に笑われるのではなかろうか。