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自死の社会的背景 報道の責任考える

2011年10月8日付 中外日報(社説)

「なぜ自殺者の理由を掘り下げて報道しないのか」。宗教者の社会問題への取り組みの勉強会で、こんな問いが投げ掛けられた。

自死者は毎年、3万人を超える事態が続いている。だが、有名人を除き個別の自死については、一般紙はこれまで詳しい状況は書いてこなかった。しかも、背景に「社会性」が見えないと判断すれば「個人の問題」、なおかつ「隠すべきもの」という意識で、まったく報道しないことも多い。

しかし「社会性」とは何か。例えば、いじめや不況による集団解雇が原因になっている場合などがそうだが、それ以外で「個人的なケース」として済ませる前に、背景を掘り下げる努力をしたかだ。

確かに、死によって多くの情報が隠されてしまい、解明は困難だ。だが、リストラや職場のパワーハラスメントなどの人間関係、さまざまな差別、多重債務や自己破産、家庭内暴力や虐待、育児の悩みや介護疲れ。そのような要因は、日常的に山積している。

しかも、これらの社会的要素につながる事情は、単独ではなく、相互に絡み合うことが多い。自死対策に取り組むNPOや僧侶、医師らのプロジェクトチームが300件以上を分析した結果、例えば、勤め先の事業不振がきっかけで失業したり借金を抱え、生活苦や家庭不和からうつ病になって死を選ぶ、というように、自死までには平均して四つの要因がつながっていることが判明した。

それらは、極めて個別的ではあっても、そこには社会矛盾が凝縮し、当人はそれに押しつぶされるのだ。つまり当事者から見える社会のゆがみは、一般的にではなく必ず「固有名詞」付きの「個別ケース」として現れる。それを、報道の中で「個人的なこと」として片付けてこなかっただろうか。

同じ勉強会では、報道が市井の一個人を「ヒーロー」に祭り上げてしまうことの危険も指摘された。いわゆる「美談」もだが、逆のケースも問題だ。例えば「困難を克服して成し遂げた」、反対に「こんな二重苦で誰よりも不幸」と、いずれも当人を際立たせることでそのレッテルが場合により過重なプレッシャーになるのだ。

もちろん世の中を良くしたい意図で報道するのだが、特に弱い立場の人は、その割り振られた「役柄」を無理に演じ続け、精神的に追い詰められることもあるという。筆者もそのような取材経験があり指摘は胸に突き刺さった。

15日から始まる新聞週間。その今年の標語は「上を向く 力をくれた 記事がある」だ。