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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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被災者側の立場と治療しない医学者

2011年10月6日付 中外日報(社説)

1954年3月、アメリカはマーシャル群島ビキニ環礁で核実験を行った。多くの島民や漁民がその被害を受け、日本の漁業界も大きな打撃を受けた。焼津港から漁に出ていた第五福竜丸の乗組員は「死の灰」に被ばくして命を縮めた人が少なくなかった。

戦後日本の宗教界の平和運動がこの事件に触発されるところが大だったのも自然なことだ。57年前のことだが、福島原発災害でこの被害のことが度々思い起こされるようになった。

第五福竜丸に乗っていた大石又七さんは見舞金を受けたためのやっかみや差別を嫌って東京に移り、クリーニング商を営みながら次第に被ばくとその後の経験について語り始めた。多くの仲間が静かに世を去ったこと、自らの子供に影響が及んだことなど、悲しい思い出を淡々と語り核の恐ろしさを訴える大石さんの発言に耳を傾ける人は多い。

その大石さんが納得がいかないと感じることに、第五福竜丸乗組員一同が被ばく調査を受けた放射線医学総合研究所(放医研)の姿勢がある。

被災直後からの被ばく記録を持ち、その後も診療を続けるのだが、乗組員の病気と被ばくの関係を認めようとしない。また、多くの乗組員が苦しんだ肝臓機能障害について把握していながら本人には知らせなかった。

このことは、1991年11月になってようやく毎日新聞大阪版によって報道された。そこでは放医研の障害臨床研究部長の談話が紹介されている。

「放医研の仕事は乗組員の障害がどのような状態か調べることにある」

つまり治療はしない、ということだ。放医研関係者の中には「結果を知らせないのは、乗組員をモルモット扱いしてきたと非難されても仕方がない」との声もあった。

調査はするが治療はしないこのような「医療」は、アメリカという加害者側が広島・原爆の資料を得るために始めたものだが、原子力開発に関わる放医研のような医療機関にも引き継がれることになった。

痛みを持つ側に立つのではなく責任を問われる側の立場で資料調査をし、被災者の信頼を失う。これは医療本来の在り方からの隔たりが大きいし、収入はよいとしても社会的役割として寂しいものではないだろうか。学者・医療者はそういう立場に立ちやすい時代になったようだ。宗教者はどうだろうか。